野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

砂連尾さん

ベルリンに来て、留守の小瀬泉さん宅に宿泊。同居人にダンサーの砂連尾理さんとパートナーのひとみさんもいる。
他にも、文化庁の在外研修で来ている若手ダンサーも集まり、ベルリンダンスコネクションに混ぜてもらう。

砂連尾さんは、ベルリンで障害者の人とつくるダンスというやつの振付助手をしていて、3月の公演に向けて、毎日のように出勤している。

砂連尾さんによれば、野村誠は気違いで、本当の狂人は「本人は発症しないが周りが発症する」と言って、野村誠の感染力の脅威について語りながら、若手ダンサー達に警告しながら、でも、感染することを推奨しているようでもあった。

多分、免疫力の弱い状態で、野村誠に感染したら、単に自分を見失うことになるのかもしれないし、しんどいかもしれない。でも、ある程度、免疫力があって、感染してもそれを自分の力に変えられるならば、毒は薬になるはずだ、ということを、砂連尾さんは言っていたのだと思う。


野村誠は、強烈な毒にも薬にもなる。だから、ヤバいと思って拒否する人もいて、でも、思い切って踏み込む人もいて、そこが人生の大きな選択だったりする、と砂連尾さんは、ワインを飲みながら、語っていた。


この話を聞いた時、ぼくは作曲家・ピアニストの高橋悠治さんのことを、少し思い出した。この人の影響を受けて、いい効果を得た人もたくさんいると思うし、逆に、自分を見失った人もいっぱいいるだろう。それだけ音楽の根源的な問題についての問いを発している人だと思う。だから、結局、受け取る人の強度の問題なんだと思う。



で、かつてのぼくは、高橋悠治さんに感染しないようにしてきたと思う。それは、彼の仕事をリスペクトする上で、しかし、自分がやりたいことをやりきるために、この人に感染していては、自分自身を見失うと直感したからだ。ぼくはそれだけ弱かったし、彼の感染力は強かったと思う。悠治さんに限らず、他の現代の作曲家の影響を排して、その変わり、ぼくは、小学校などに行って、思う存分、子どもに感染されることにした。それが、ぼくの作曲の学び方だった。そうした基盤ができた上で、今、ぼくは色んな音楽家に感染していこうとしている。

そんなことを思い出すと、砂連尾さんの言うことも、なるほどと思う。ベルリンでの一夜。