野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

障害からひろがる表現とケア

6月になった。2週間ぶりの福岡。今年は九州多く、3月に福岡市美術館の下見、5月が福岡市美術館、6月が九州大学と、下旬に都城、7月が都城で、8月に福岡で子どものワークショップといった具合。

 

新幹線では、最初リゲティの伝記を読んでいたのだが、作曲家の伝記を読んでいると自分自身が作曲したくて、ウズウズしてしまう。結局、我慢できなくなって「問題行動ショー」の作曲に着手する。この曲は、とにかく自由に書きたいように作曲していて、好き勝手に作曲しているのが本当に楽しく、つい時間があると、作曲の続きをしてしまう。

 

九州大学に着く。今日と明日は、身体表現ワークショップ「障害からひろがる表現とケア」。定員15名のところに24名もの参加があって、大盛況。今日が4時間半、明日が5時間半で、二日間で10時間の講座。

 

本日は、冒頭は、門限ズの紹介ワークショップ。身体を動かすところから始まって、その後、ジョバンニとカンパネルラの会話を、一人ではなく、3人で一つの台詞を即興で同時に言う、というのをやった。以前、鳥取のワークショップでやった方法。今日は、これを発展させて、即興で歌うのができるかやってみた。それが一人から始まって全員になっていく。まるでボレロの歌バージョン。それを即興で同時に同じ歌詞で歌わなければいけない。事前に歌詞やメロディーが決まっていれば簡単だが、即興でやるために、意思疎通が難しい。こうした困難(障害)があることで、面白い表現になった。ダンスでも、同様なことをやってみた。

 

その後、森裕生さんによる笑えて楽しめるレクチャー。彼の先天性脳性麻痺による四肢体幹障害という状態がどのような状態かを疑似体験し、理解してみようとする試み。寝ている時も、歩いている時も、脱力ができず、全身に力が入っている状態。それと同時に、普段からボイストレーニングをしたり、筋力トレーニングをして、自分の身体能力の衰えを回避しようとする彼の努力にも、心打たれる。ぼくも、トレーニングしようと思った。

 

そして、グループに分かれてのお出かけ。ぼくのグループは、アユキチと一緒に大学構内を巡った。無響室に入れたのも面白かった。車椅子では通りにくい道の様々な障害物に気づく。グランドに出ると、電動車椅子で自由自在に走り回るアユキチ。それに合わせて、鍵ハモを吹いてみる。歩いていると自然に、四つ葉のクローバー探しが始まったりする。噴水の側で、アユキチのダンスと鍵ハモのセッション、などなど。

 

戻ると、他のグループは、駅に行って、スーパーで買い物をしていたり、別のグループは川まで行って、車椅子を担いで河原におり、さらには、川にも入ったらしい。明日は、このプチ遠足の体験をもとに、クリエーションを試みる予定。

 

夜は懇親会で語り合う。

 

身体表現ワークショップ 障害からひろがる表現とケア

 

問題行動ショーの作曲がつづく

本日も自宅に引きこもって作曲。ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」@アクア文化ホール(6月29日)に向けて、ヴァイオリンとクラリネットとピアノによる濃密な曲を書き続けている。譜面を書いていると、いつの間にか何時間も経って、1日が終わっていく。そして、曲が少しずつ違った表情を見せてくる。

 

作曲している時に、結構重要になるのが、いつ休憩するか。どこで気分転換するか、だったりする。勢いよく続けて書くのも大切なのだけども、一度、気分転換して違った目で(耳で)曲に向き合うことで、視点(聴点)を変えられることが、重要だったりする。そこで、本を読んだり、散歩したり、掃除したりして、また作曲に戻る。だから、今月は作曲をしていたので、家の掃除が、結構できた。

 

イギリスのヒューの家では、トイレにも何冊も本が置いてある。ヒューの家でトイレに入ると、ついつい読書してしまった。その中で気に入った本が、音響の本で、Trevor Cox著の「Sonic Wonderland」で、同じ本を購入して、今は自宅のトイレに置いている。残響の長い場所を探して、そこで残響時間を計っている話なんかが面白い。読んでいると、鈴木昭男さんとJohn Butcherがスコットランドで「Resonant Spaces」という音のツアーをした話が一瞬出てきた。響く場所を巡る旅。いいなぁ。

 

作曲の合間に、少しずつ事務作業。確定申告のための領収書の整理がようやく終わりが見えてきて嬉しい。そして、また作曲に戻る。

 

外ではカエルが大合唱している。

 

リゲティの伝記

作曲家ジョルジ・リゲティの伝記を読んでいる。著者は、Richard Steinitz。ハダスフィールド大学の作曲の先生だった人で、ハダスフィールド現代音楽祭を立ち上げた人。今から25年前、イギリスのヨークに住んでいた時、ぼくはハダスフィールド現代音楽祭に行きたかったがお金が十分になかったので、Richardの研究室を訪ねた。そして、現代音楽祭が少額の援助金を出しているのを知り、応募し、連日のコンサートのチケット代と交通費をカバーするお金をもらえることになり、ありがたかった。

 

この伝記を読んでいて、面白かったのが、現代音楽の作曲家として知られるリゲティが、1970年代、学生たちとクラシックを初見で演奏して楽しんでいたとのこと。ゴリゴリの現代音楽を作曲している傍、ハイドンモーツァルトベートーヴェンシューベルトシューマンブラームスといったクラシック音楽を演奏していたというのだから、面白い。きっと、ハイドンとか演奏して、いろんなインスピレーションを得ていたのだろう、と思う。

 

他に面白かったエピソードが、リゲティストックホルムにレクチャーに呼ばれた時に、ショスタコーヴィッチも同じ時期に招聘されていた。でも、リゲティは、ショスタコーヴィッチのことを共産主義の作曲家だと思って、声をかけず、無視していた。で、後になって、ショスタコーヴィッチのことを知って、あの時に声をかければよかったのに、と後悔したらしい。すれ違ったけど、交流せず。

 

6月29日の「問題行動ショー」まで、1ヶ月。砂連尾さんからも、いろいろな提案がメールで送られてきて、どれも正気の人間には思いつかないようなアイディアばかり。ぼくの方は、砂連尾さんと佐久間さんが踊るためのヴァイオリンとクラリネットとピアノのためのトリオを、相変わらず作曲している。日々、少しずつ曲が発展したり、増殖したりしていて、どんどん音楽が変化していくのが楽しい。

 

www.toyonaka-hall.jp

 

キャンパス内を練り歩く

愛知大学での授業。同大学教授の吉野さつきさんに招かれて。本日2コマ、再来週に2コマの合計4コマのワークショップ。

 

吉野さんは、先週、韓国の蔚山にて、高齢者とのアート活動について発表したそうで、そこで、野村誠の「老人ホーム・REMIX」のことをプレゼンしてきてくれ、好評だったとのこと。韓国には、長らく行っていないので、韓国でいろいろ活動できるのは嬉しいし、また可能性を探りたいものだ。

 

大学生とのワークショップでは、いきなり学生たちに無茶振り。とりあえず、今から3人組で、10分後になんでもいいから音楽を発表して、とお願いした。ただし、他のグループと似ていない自分たちだけの独自性が何かあるようにね、とだけ付け加えて。この雑な指示に応えて、学生たちは発表をしてくれた。発表自体も面白かったのだが、さらに、その後に、他のグループの発表について、良いところを見つけてほめるように指示をしたところ、本当に、的確にほめていた。音楽と言うと、否定される経験が多いと聞く。多くのピアノレッスンや音楽の授業で、正解を求められ、正解と違うとダメと否定される。でも、正解がなくって、その中で良いところを肯定される、そういう音楽との接し方/学ぶ方/出会い方があってもいいのでは、と伝える。

 

その後、みんなで少し楽器をしてのち、突然、散歩に行くと言って、キャンパス内を楽器を演奏しながら練り歩く。駅まで行って、踏切とも共演。外に出ることで、Peter Wiegoldのマンチェスター・ピカデリー駅でのコンサートの動画を思い出し、みんなで見て、ディスカッション。

 

皆さんからの質問に答えてのち、インドネシアでの「瓦の音楽」について動画を見てから、ボディパーカッションをやってもらい、最後はうたをつくる。トーンチャイムをランダムにとって、メロディーをつくってもらう。歌いづらいが面白いメロディー。

 

 

 

「問題行動ショー」のためのリハーサル

ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」まで、あと1ヶ月。本日は、佐久間新さんとのリハーサル。みっちり3時間強に渡っての濃密なリハーサル。いや、リハーサルというよりは、佐久間さんと二人きりのワークショップと言うべき。色々なアイディアが出てはやってみる。こんな姿勢になったことないぞー!こんな状態でピアノを弾いたことないぞー!と、驚きの連続。佐久間さんを自由に放つと、本当に黙々と面白いことをし続ける。かなり公演の全貌も見えてきたけど、ここで収束する気配はなく、まだまだ面白く広がっていく。とにかく、せっかくの機会なので、やりたいことを思う存分やろうと思う。

 

メインの出演者は、野村誠(音楽家)、砂連尾理(ダンサー)、佐久間新(ダンサー)の3人で、そこにゲストが、日本センチュリー交響楽団から2名、たんぽぽの家から3名、香港のi-dArtから13名、つまり合計18人のゲストが登場する。香港の方々が、いろいろ準備を進めていて、すごい。ロビーに展示するつもりで、張り切っている。ぼくも何か展示しようかなぁ。

 

佐久間さん帰った後、「問題行動ショー」のための新曲の作曲も少し進める。

 

David Hughesのレクチャー

昨夜、我が家にインドネシアの作曲家Gardika Gigih Pradiptaが泊まったので、ギギーとの朝食。ギギーと語り合う。ギギーは、ぼくが上野さんの調律の考えについて、本を書くべきなのではないか、と言う。確かに、それだけで一冊の本をつくるのは難しいかもしれないが、ギギーと話しているうちに、上野さんとピアノの話で1章、瓦の音楽の話で1章、相撲を聞く話で1章、オーケストラの話で1章、というような形で、一冊の本にまとめるのがいいのでは、という考えにいたった。それを、日本語と英語の2ヶ国語で作ればいいのでは、とのこと。確かに、ピアノ、瓦、相撲、オーケストラ、に関する音楽の本、って面白いかもなぁ。

 

午後は、小泉文夫音楽賞を受賞したDavid Hughesさんのレクチャーを聞きに、同志社大学に行く。日本語と英語という告知だったので、ギギーも一緒にいったが、デイヴィッドが日本語が流暢なため、レクチャーが日本語だけになったため、全部、ギギーに英訳して伝えなければいけなくなり、大変だった。「南部牛追歌」を歌いながら、牛の声をお客さんがする観客参加の仕方が面白かった。また、「ドンパン節」を歌うときに、「どんどんぱんぱんどんぱんぱん」という歌詞に合わせて、「どん」に合わせて丼ぶりを見せて、パンにあわせてフライパンや食パンを見せる演出など、ステージで民謡を歌うエンターテイメントの話も面白かった。講義の後に、デイヴィッドと少し話をして後、記念撮影。

 

東京に行くギギーと別れる。次に彼に出会うのは、いつになるだろう。インドネシアか、日本か、それとも別の国でか。

 

家に帰ると、注文していた本(Beyond Notation -The Music of Earle Brown)が届いていて、ちょっと読む。ケージやフェルドマンはジャズが嫌いだったけど、ブラウンは、ジャズが好きな偶然性の作曲家。そして、カルダーのモビールに影響を受けて、モビールのような音楽をつくろうと思った作曲家。ジャズも現代音楽も楽しめる柔軟さがあり、本人自身がモビールのような柔軟性があったのだと思う。だから、興味がある。指揮者は独裁者じゃない、共演者だ、と言うブラウンの指揮を見てみたかった。

 

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ピアノの本音

ついに、「ピアノの本音」(@ Stimmer Saal)。

 

「十和田十景」の10曲を世界初演。十和田での体験を知らない観客たちが、タイトルと音楽だけで、十和田を旅する。そんなツアーに音楽で連れて行くのも、面白い体験だった。また、やってみたい。

 

上野さんのピアノに関する考えを、ぼくなりに噛み砕いて、お客さんに説明できた手応えを感じれたことは、自分としては大きなこと。

 

ピアノというのは、数百キロの体重を抱える巨大な楽器。結局、この巨大な重量感のために、すごい音が出るし、この巨大な重量感のために、歪みも出る。その歪みは、音の歪みにもつながる。重量感が必要になるのは、硬質な金属弦を数多く強く張っているからだ。この金属弦が硬いから、音が伸び続ける。だから、お箏みたいに自然に音が減衰して消えるのにまかせることはできない。それぞれの弦に、フェルトのダンパーで消音する。甚だ、ややこしい楽器だ。

 

この甚だややこしいピアノという楽器は、仕組みが複雑すぎるので、鍵盤やペダルで操作していることと、実際に楽器から音が、どう関係しているのか、実際に楽器を操作しているピアニストですら、わかっていないことが多い。

 

そのピアノの仕組みを解明し、それによって、ピアノの魅力をどれだけ最大限に引き出せるかを実演付きで説明した。

 

そして、インドネシアの作曲家Gardika Gigih Pradiptaの新曲は、本当にスティマーザールのピアノのために作曲された音楽だった。本番のあの空間で弾いたら、説得力を持つ音楽だった。他の機会に他の場所で演奏しても成立しないかもしれない。上野さんの調律で、野村が演奏する状況で成立する音楽。こんな音楽を作曲してくれたギギーに感謝。

 

そして、コンサートの最後に、ギギーと即興で連弾をした。いろんな世界を体験して、最後の最後に、インドネシアに辿り着いて終わった。

 

東京から駆けつけた映画監督、金沢から駆けつけた調律師など、このイベントを目掛けて遠方から来てくださった方々の熱い思いにも感謝。そして、ピアノに関して、もっともっと自分なりに深めていけるなぁ、と実感できた。本当に、ようやくピアノ音楽の入り口に立てたかもしれないと思った。新しいピアノ音楽をどんどん作曲していこうと思った。そして、ぼくのピアノは、ぼくの鍵盤ハーモニカとも、常に連動しているし、作曲や他の活動とも連動している。そんなことも、再確認できた。

 

ギギーを連れて、家に帰り、ギギーと語り合う夜。彼も、間もなくインドネシアに帰国。