野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

三すくみ or 三位一体 サクマとジャレオとノムラ

「三すくみ」という言葉がある。カエルとヘビとナメクジの均衡関係。お互いに勝ったり負けたりして、絶妙なバランスをとる。カエル(佐久間新)とヘビ(砂連尾理)と野村誠も、「三すくみ」になるかもしれない。しかし、「すくむ」だけでは、始まらない。牽制し合うだけで終わってしまう。「三すくみ」の状態を続けるのではなく、「三位一体」になって、「三人寄れば文殊の知恵」になれるのか?

 

実は、30年前に出会った佐久間新、20年前に出会った砂連尾理と、こうして一緒に舞台をつくることが、なかなか実現しなかったのは、すくんでいたからに他ならない。お互いに気にはなっていたし、意識もしていたが、「三すくみ」のまま長い年月が過ぎて、気がついたら50歳になっている。すくんでいる場合ではない。

 

カエルもヘビも動き出した。傷つくことを覚悟して、お互いの領域に侵入していくこと。それがなければ、三位一体も、文殊の知恵にも到達できない。でも、三すくみのバランスを崩壊させる境界線を越えることは、美しい出会いを生む可能性を秘めていると同時に、大きなリスクを孕む。それを、長年の経験と友情と信頼で、カバーできるだろう、という期待と不安。

 

そして、「だんだんたんぼに夜明かしカエル」が実現した。今日の公演には、佐久間新の14年間の活動をしてきた「たんぽぽの家」のメンバー、砂連尾理が昨年から教えている立教大学の学生や卒業生、そして野村が8年間続けている「千住だじゃれ音楽祭」のメンバーが参加していた。三人の三つのフィールドで関係のある人々が、今日の舞台という空間で、出会えた。舞台の上で確かに出会った。

 

今日の東京公演が終わって、とりあえずの「だんだんたんぼに夜明かしカエル」の世界初演が完了した。この作品は、これから再演を繰り返し、成長していく必要があるし、作品の意味について、論じられていく必要もあると思う。

 

いよいよ次の「三すくみ」企画が、ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」 ヨソモノになるための練習曲。4月での香港でのクリエーションを経て、6月29日に豊中で公演。今度は、たんぽぽの家のメンバーと、香港のi-dArtのメンバーと、日本センチュリー交響楽団のメンバーが出会う。この公演は、きっと集大成ではなく、新たな始まり。新たな練習。新シリーズの第1弾になると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だじゃ研とだんだんたんぼ

「だんだんたんぼに夜明かしカエル」東京公演の1日目。昨年から練習に練習を重ねてきたメインキャストに加えて、直前で加わったゲストたちがいた。立教大学の学生/卒業生が3名、だじゃ研(=だじゃれ音楽研究会)が20名弱。練習に練習を重ねて練り上げられた舞台に、ほとんどリハーサルがなしで上る。だじゃ研に関しては、当初、野村と一緒に演奏ブースがあり、そこで野村の指示で演奏する役になると想定していたが、ほとんどリハーサルができない状況でも、佐久間作品は、即興的に有機的な関わりを求めてくる。この人たちは、単なる楽隊としてでもなく、脇役ではなく、とても重要な存在として舞台にいなければいけないという難題を与えられた。そうする状況に臆することなく前向きに取り組んでいること、それは、大変勇気づけられるものだと、ぼくは感じた。あの短時間でアマチュアのグループに、あれだけのパフォーマンスを要求し、それを観客の厳しい視線の前に晒すこと。それは、過酷かもしれない。本番前に、「皆さん、大丈夫ですか?不安はないですか?戸惑っていませんか?」と聞くと、「今のところ楽しんでいます」との答えがかえってきた。そして、「野村さんとやる時は、いつもこんな感じだから、慣れてます」とも言われた。ああ、ぼくは、普段から無茶振りをし続けてきたのか。そして、だじゃ研は、こんなに寛容で柔軟な音楽サークルになっているのか。

 

来年には、だじゃ研と共に、「千住の1010人×2」を開催する予定だ。彼ら/彼女らの成長があって、第1回の時とは比べ物にならないくらい、だじゃ研が力を発揮するだろう。それが楽しみだ。

 

2014年の第1回の「千住の1010人」に急遽、インドネシアからの来日アーティストのサポートスタッフとしてお願いした佐久間新さん。そのままコンサートでダンスで出演してくれたのが、だじゃ研との出会い。5年経って、彼の大切な東京での舞台で、佐久間新とだじゃ研がこうして再会したこと。嬉しい一夜だった。

 

公演中、ぼくはピアノを弾く。業者からレンタルした普通のヤマハのピアノ。でも、今週、十和田で色々な家庭のピアノを弾いた体験を持って、ピアノを鳴らそうと思った。あの十和田の色々なピアノに向き合う時の気持ちで、ピアノの特徴を探る気持ちで、ピアノの響きを聞こうと思った。だから、ここは佐久間公演でもあるけれども、十和田でもあった。

 

そして、途中では、さいたまトリエンナーレと個人的にシンクロする時間もあった。色々なところでやったことが、多層的に重なり合っていく。世界はそういう風に、重層的で、世界の全部を見ることができないように、舞台の全部を見ることはできない。

 

まだ、いろいろ感想もあるけれども、今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だんだんたんぼ、だじゃ研に出会う

十和田を出発し、東京の千住へ移動。いよいよ、佐久間新の舞台作品「だんだんたんぼに、夜明かしカエル」の東京公演が、明日、明後日。両日とも満席、満員御礼で、当日券が若干出るかも、という状況。

 

本日は、午後からサウンドチェックをし、場当たりシーンの確認などあり、さらにテクニカルリハーサルがあり、一日中、劇場にこもっての作業。

 

既に神戸で公演している作品だが、大きく二つの課題がある。一つは、神戸のジーベックホールと全く違うBUoYという劇場空間で上演するため、数々の変更を余儀なくされる。真ん中に巨大な柱がある空間なので、どの座席にも死角があり、神戸の公演のままだと、席によっては、何も見えなくなってしまう席ができてしまう。そこで、同じ作品でありながら、演じる場所を変えたり、シーンを多層的にしたりする必要が出てくる。そうすることで、作品が深まっていくところも面白い。

 

もう一つは、神戸公演では幼稚園児がゲスト出演するコーナーがあったが、東京では、だじゃ研(=だじゃれ音楽研究会)のメンバーが出演する。千住で8年間も活動でしてきた「野村誠千住だじゃれ音楽祭」のメンバーが18名も出演するというのだ。そして、砂連尾さんが教えている立教大学の学生も出演する。ということで、これらのゲストが加わってのリハーサルは、本日が初めて。というわけでスリリングなリハーサル。しかし、百戦錬磨の照明の川島玲子さんや音響のsonihouseさんや舞台監督の浜村修二さんが柔軟に対応してくれ、どんどん素敵なシーンになっていく。そして、だじゃ研も、砂連尾さんからの急な無茶ぶりにもどんどん対応。いよいよ、明日が東京公演。

 

毛利悠子のモレモレヴァリエーションと十和田の町

十和田での最終日。十和田市現代美術館の企画展は、必ず街中展示がある。現在開催中の毛利悠子展も展示室での作品以外に街中にも展示があるのだが、そのうちの松本茶舗での展示を、本日、ついに鑑賞。これが、大変素晴らしかった。静止画のカタログ写真では、その魅力が十分伝わらないかもしれないが、実際に作品が動き音を奏でる様子を鑑賞すれば、単純でありながら、常に変わり続けていく音楽が立ち現れる。と同時に、その動きは、魅力的なダンスで、美しい影絵でもある。音楽であり、ダンスであり、美術であり、それらが松本茶舗の店内で自然に共存している。単純なようで、時事刻々と微妙に変わっていく「モレモレヴァリエーション」。作品の素晴らしさと同時に、この作品を半年間、店内で鳴らし続けることを受け入れた松本茶舗の寛容さにも感銘を受けた。

 

東奥日報の記事がウェブ上でも読めるそうで、こちら。

www.toonippo.co.jp

 

「十和田十景」を作曲するために、昨日、一昨日の録音データをもらう。美術館との事務的な仕事なども済ませて、少しだけ作曲作業も始める。

 

美術館の里村さんと打ち上げ。録音を一緒に聴くと、曲ごとにピアノが変わり、空間が変わるので、旅をしている感じが出て面白い。アンケートを読ませてもらったり、人々からの感想が届いたり、2日間の濃密なツアーの余韻に浸る。ただ、ここが始まり。このツアーの時間を、これからどう活用していくのかも課題。次に十和田で何か企画をする時にも、大切な人の繋がりが生まれたと感じた。記録映像は、音楽作品であると同時に、十和田の町や人々が浮き彫りになる映像になるだろう。それは、海外の人々からすれば、日本の生活が浮き彫りになる音楽映像作品かもしれない。映像の完成も楽しみだな。野村が「十和田十景」の作曲を完成させたら、また十和田でコンサートもしてみたい。いろいろな可能性が生まれて、始まった気がする。みなさん、ありがとう。

 

 

 

 

十和田十景 no.6-no.10

「十和田十景」。十和田市現代美術館10周年企画。まちのピアノを巡るツアー。2日目。

 

午前中は、東コミュニティセンターに集うピアノサークル「ドルチェ」の方々との特別企画。ここのメンバーの方々に、今回のツアーの行き先を紹介していただいたそのお礼としてのミニコンサート。野村誠作曲作品より、「DVがなくなる日のためのインテルメッツォ」(2001)、ピアノのための21の小品「福岡市美術館」(2009)より「5.泰西風俗図屏風」、「9.仰臥裸婦」、「11.ゴシック聖堂でオルガンを聞いている踊り子」、「21.日光菩薩立像」、「相撲聞序曲」(2017)を演奏する。「相撲聞序曲」は、平先生と連弾させていただき、最後にみなさんのリクエストで、その場で小品を作曲して終了。これが、六景目。

 

午後、いよいよツアー二日目開始。ACAC(国際芸術センター青森)から懐かしい方が参加しに来られたり、八戸から来られた方や、十和田の地元の方、美術館ボランティアスタッフの方などの参加者。家族で参加で子どもたちも参加あり。

 

美術館でのジム・ランビーの作品での鍵盤ハーモニカ演奏は、昨日とは違ったアプローチで演奏。美術作品の鑑賞の仕方も、日によって違ったものになると思うので。

 

まず到着したお宅では、結婚してお嫁入りする時に、タンスを買わずにピアノを買ってもらった、というエピソードもいただき、ピアノを演奏。さらには、絵本の読み聞かせと音楽の活動もされているとのことで、その場で絵本の読み聞かせをお願いして、それに合わせてピアノを弾かせてもらう。七景目。

 

八景目は、ひかり保育園。中学校の先生を定年退職する時に、教会にオルガンを寄付されたという先生に、挨拶をいただく。実は、ツアー参加者の一人の中学1年の時の担任の先生。数十年ぶりの再会。思わぬドラマ。リードオルガンを演奏。その後、5歳児7名ほどが来る(4歳児以下はお昼寝)。ぼくは、「オルガンとピアノ、どっちを先に弾いてほしい?」と尋ねると、子どもの意見が分かれる。じゃあ、オルガンとピアノを同時に弾こう、と言って、オルガンをピアノのそばに移動。足踏みオルガンの足を踏みながら、右手でオルガン、左手でピアノ。なかなかやったことがないピアノとオルガン一人弾き。それに加えて、「オルガン、ピアノ!」と歌ったら、こどもたちも大爆笑。最後は、こどもたちに得意な歌も歌ってもらい伴奏もした。

 

九景目は、「生活感丸出し」と自称される方のお宅。新築の時にお母様が費用の一部を出していただき、子どもたちのために購入。子どもたちが大人になり、時々里帰りする時に、お孫さんたちも弾くピアノ。4世代の物語を演奏する。最後は、部屋の時計の音がメトロノームのようにピアノと共演。

 

ついに最後の十景目のお宅。こけしなどの民芸品もいっぱいの個人宅の音楽室。先ほど、中1時代の担任の先生に再会された方が、再び、驚きの再会。なんと、中2、中3での担任の先生のお宅であった。あまりの驚きの再会は、偶然の演出。

 

こうして二日間の「十和田十景」を作曲するためのツアーが終わる。このツアーの主役は、野村なのか、ピアノなのか、それとも人々なのか。それぞれのお宅の方々は、表向きは会場を提供してくださっている協力者であり、メインのアーティストは野村誠である。しかし、実際にツアーを行っていくと、それぞれの協力者の方々の物語を聞くことになり、野村の音楽もメインではあるけれども、同時にその方々のストーリーもこのツアーの主役だった。十和田の町の中で、こんな風に人々が思い、暮らしているのだ、ということを感じられる2日間だった。その体験のエッセンスを、短いピアノ曲10曲にまとめるのが、ぼくに与えられた宿題。これからの日々、十和田のことを思いながら、少しずつ書いていきます。

 

 

 

 

十和田十景 no.1-no.5

十和田市現代美術館の10周年企画の「アートなたび」、野村誠のまちのピアノを巡るツアーの1日目。本当に、不思議な、なんとも形容のし難い体験だった。そして、確かに旅をした。

 

最初は、美術館のレセプションでスタート。床一面に設置されているジム・ランビーの作品の上で、鍵盤ハーモニカを奏でるのが、プレリュード。窓から差し込む春の光が反射し、天井や壁面に映る影も美しい。

 

十和田市現代美術館「アートなたび」と書かれたバスに乗り込み移動。10名ほどのメンバー。三重県新潟県から来場の方もいれば、十和田の地元の人もいる。

 

続いて、カトリック幼稚園に到着し、園児90名が待ち構えている。マイクを渡されて、「マイクいる?」とぼくが言ったところから、「マイクって名前の人いる?」となって、「太郎いる?」、「さやかいる?」などと展開し、子どもたちと楽しい会話。「ぼくの名前は?」と聞くと、「ももたろう!」とこどもたち。そこで、「ぼくの名前は、ノムラももたろうマコトです。」と言って、こうした会話をもとにした曲を演奏。猛スピードでピアノを演奏すると、それが嬉しいみたいだった。最後は、子どもたちに歌を歌ってもらい、帰ろうとするが、「もういっかいやって!」と子どもたち。「それは、アンコールって言うんだよ」と教えると、「アンコール」で、それが、「あんこ」の曲になり、「わんこ」の曲になったのは、こどもたちのアイディア。大盛り上がりの子どもたちとの時間が終わり、カトリック教会へ移動。

 

一気に厳粛な雰囲気。ここで、祈りの音楽を電子オルガン(エレクトーン)で即興で弾く。まったく世界が変わる。最後に、神父さまから聖書の言葉。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私からの唯一の命令です。」そして、神父さまからのリクエストで賛美歌を一曲演奏。

 

続いて、ピアノ教室に到着。ピアノ教室の先生の娘さんが出産されたばかりで、その子への子守唄をリクエストされる。子守唄のつもりで演奏を始めるが、ピアノがすねる。今日の主役はピアノではなかったのか、と。確かにそうだ。このピアノは、ピアノ教室のピアノとして、レッスンの場でずっと演奏されてきたピアノだが、お客さんを集めて演奏される機会は初めてかもしれない。ピアノにとって、晴れ舞台だったのに、主役を出産したばかりの赤ちゃんにもっていかないでほしい。ピアノの声を感じたぼくは、ピアノから様々な音を引き出す。このピアノを弾いてきた様々な生徒さんたちの記憶が走馬灯のようにグルグルと巡って、最後に、子守唄になって終わった。

 

最後は、南部裂織保存会の方のお宅。このピアノは20年以上調律されていないと言う。20年調律していないピアノを弾かせてくださることに感謝。調律されていないピアノが狂っているように聞こえるハーモニーで弾くのではなく、このピアノが最も美しく響く音楽はなんだろうと探っていくと、気がつくと、ぼくは左手だけで弾いていた。だから、左手で弾き、右手で絵を描き始めた。右手で絵を描き、左手で音楽を演奏する、というのは、生まれて初めての体験。20年調律されていないピアノをボロだと見なさずに、その魅力に向き合うことは、古着を組み合わせて織物をする南部裂織りの精神と似ている。だから、ピアノと南部裂織りが、ぼくの中では結びついた、というお話をさせていただく。保存会の方は涙を流しながら、保存会を始めた亡き妹さんに伝えたいと語ってくださる。

 

ということで、2時間強のツアーは、美術館で解散。テレビ2局、新聞4社の取材が同行し、終わった後も取材がつづく。明日、地元の新聞やニュースなどで報道される予定。少人数のプログラムだが、十和田の魅力ある人々や場所を、こうして紹介できる企画ができて嬉しいし、それが、またメディアで報道されたり、記録映像になったりして、今後、多くの人々にじわじわと伝わっていくことにも、可能性を感じる。そして、作曲家としては、今日の体験をピアノ曲集「十和田十景」としてまとめることが、大切なポスト「アートなたび」になると思う。

 

夜、カトリック教会からの提案で、特別に1時間限定の「教会で音楽会」を開催。今日は、お客さんに聞かせるための音楽ではなく、ぼく自身が祈る音楽をやらせていただくことにした。そのことをお客さんに伝える。「ぼくは、神様との交信、祈りの音楽をするので、今日はお客さんに向けては演奏しません。皆さんは、放っておかれます。ですから、音楽を聴くことに専念するのでなく、ご自身で祈ったり、自分自身を見つける時間としてお過ごしください。」と伝える。神と一体化できるような即興演奏ができる、なんてことはなく、信仰心の乏しい作曲家が、付け焼き刃で祈りの音楽を演奏しようと、神様がサポートしてくれたりはしない。そんなことに演奏しながら気づく。神様とコラボしようと思っても、神様は相手をしてくれない。いろいろ探るが、神様と通じ合ったと感じられる瞬間は訪れない。そうした祈りの音楽を続ける。そして、自分自身の邪念を消し、真っ白になって、神の声を聞こうとしても、やはり神の声は聞こえてこない。演奏の最後に、「かみさま」と叫び、歌いながら、神様への思いを声で語りかけ、即興演奏は終わっていった。祈りとは、自分自身に向き合うこと。神様の力を安易に借りようとしてはいけないが、神様は見守ってくれている。そんな気づきをもって、コンサートを終える。昼間の幼稚園児に、「ももたろう、バイバイ」と言われて、静かに1時間祈りの場を共有してくれていたことに気づく。彼は、夜のは「ゲイジュツ的だ」と言って、帰っていった。

 

その後、1454で人々が集っているスペシャルナイトに顔を出す。十和田に熱い人々がいっぱいいる。明日も熱いツアーが続く。

 

 

 

十和田十景 ten views of towada

いよいよ、明日と明後日、十和田での家庭のピアノを巡るツアー。二日間で十和田の十箇所を巡る。それぞれの場所で、その場で作曲を開始し、「十和田十景」という10曲から成るピアノ曲集にまとめる予定。十和田市現代美術館の10周年の企画で、十という数字が気になって、「十和田十景」というタイトルを思いついた。英語のタイトルを、Ten views of Towadaとした。どちらも、北斎の「琉球八景」とか「富嶽百景」などのタイトルを参考にしたネーミング。「和田景」とか「ten views of towada」と書いて、楽譜の表紙をつくってみると、ワクワクする。

 

午前中は、会場になる引っ越した直後の幼稚園のピアノを確認したり、教会の電子オルガンをチェックしたり。午後は、前回の下見以降に決まった会場となるお宅の方との打ち合わせの後、美術館の里村さんと最終打ち合わせと、明日からのツアーに向けて、準備中。

 

ちなみに、昼間の時間帯のツアーに参加できない方への特別企画として、明日の18時より、カトリック十和田教会にて、野村のコンサートやります。入場無料。