野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

35年を振り返り

高松市美術館の35周年記念コンサートを準備するにあたり、自分史35年を振り返ることになった。ぼくが鍵盤楽器を演奏し始めたのは50年前、作曲を始めたのは47年前だが、自分で企画をして作品を発表し始めたのは、35年前である。

 

共同作曲というテーマを見つけたのが35年前。そこからバンドpou-fou、子どもたちとの共同作曲、お年寄りとの共同作曲などを続けていき、「しょうぎ作曲」という方法を考案したのが25年前。「しょうぎ作曲」を実践していく中で、音楽を聴覚に特化せずに、五感、いや六感を通して味わうべく、演劇、身体表現、舞台芸術などとコラボレーションに本格的に取り組み始めたのが20年前。ヨーロッパやアジアなどで様々コラボを経て、相撲をリサーチして新しい作曲哲学の構築に着手し始めたのが10年前。で、自分の現在地はどこにあるのか?ここからどの方向に一歩を踏み出そうとしているのか?このコンサートは、それらの問いを自問する機会にもなった。

 

相撲のリサーチから、伝説の力士双葉山が求めた相撲について知ることになり、《オペラ双葉山》という構想が浮上した。これは、日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)としてのプロジェクトとなっていった。この構想については、コロナ禍に文化庁助成金をもとに作った以下の冊子にまとめてある。

http://jacsha.com/jacshaforum2020.pdf

また、元力士の一ノ矢さんの以下の分かりやすいレポートも、その構想についてイメージさせてくれる。

「オペラ双葉山」~竹野からの船出 | 記事 | アーティスト・イン・レジデンス | 城崎国際アートセンター

 

《オペラ双葉山》を意識していたわけではないが、ここ数年、ぼくの創作の中で声楽曲が占める割合が激増した(それ以前は、ほとんどなかった)。各地に伝わる相撲甚句のリサーチを続け、地歌箏曲家の竹澤悦子さんのための三味線弾き語りの作品を書き、「千住だじゃれ音楽祭」で、「だじゃれ」と「音楽」の結びつきについて考える中、自分なりに、「歌うこと」、「語ること」について、どう掘り下げていくのか、と自問する。

 

それで、肥後琵琶を始めることにした。これは、肥後琵琶の伝承者になることを目論んでいるわけではない。偶然の出会いによって、琵琶法師の世界を自分なりにリサーチして、その上で、自分なりの声楽について、見直すきっかけにしたいと思ったからだ。村山籌子の童話に基づく合唱曲を書いたことと、肥後琵琶は、自分の中では矛盾しない。自分が今後進んでいく『声の音楽』の漠然としたイメージは脳内にはある。それは、僕自身も体験したことのないもので、でも確かに存在し得るもの。そして、それは昨年の夏に《タリック・タンバン》を作曲した時に書いた「未来の社会や音楽を感じるための祭り」、「神、聴衆、演者の全てに向かう総向芸術」を押し進めた先に存在するものだ。

www.suntory.co.jp

 

本を読んだり、楽器を奏でたりしながら、少しずつ自分の考えを整理し、ようやく、これくらいは文字にできるようになってきた。