野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

瓜生山の京都芸術大学へ

本日は、(瓜生山の)京都芸術大学に行ってきた。島袋道浩くんが2週間の集中講義に来ていて、ぼくも特別講師に呼ばれたのだ。これは、グローバルセミナーという大学院のコースで、年間6人のアーティストを招聘して集中講義を行うもの。アメリカ、台湾、中国、日本など8名の学生がいる。

 

島袋くんがアーティスト・イン・レジンデンスの参考になる映画だと、ノーマ東京という映画が紹介される。島袋くんは美術家だが、美術を学び、美術を極めていくために、現代美術だけを参照したりはしない。料理を参照し、お笑いを参照し、あらゆることを勉強していく。彼の美術は、美術とは全く無縁な世界と繋がっていく。

 

グローバルセミナーは、共通言語は英語。コロナ禍で対面でのトークイベントもなかなかない中、さらに英語でのプレゼンも久しぶりな気がする。自分の活動について、美術系の大学院生たちに向かって話せて、面白かった。

 

島袋くんの映像作品にピアノで音楽をつけたことから始まり、ペットボトルの演奏実演と、鍵盤ハーモニカ・イントロダクション実演。ペットボトル、鍵盤ハーモニカ、ピアノ。楽器が変われば楽器の特性によって、演奏も自ずと違ってくる。デンマークの食材で料理するのと、日本の食材で料理するのが違うように。楽器の特性を生かすこと、場所の特性を生かすこと、それは昨日のサイトスペシフィックアートの話とも共通すること。

 

アリクイとの共演は、アリクイ界と人間界の間に橋を渡す音楽。アイコン・ギャラリーでのペットが来る音楽会の映像も紹介した。美術館に動物入場OKで亀がウンコをして、よくやらせてくれたなー。懐かしい。お風呂のお湯も楽器になる。

 

香港での3ヶ月のレジデンスの話。巨大福祉施設が一つの町のようだった。アリクイ界と人間界の境界を超えるように、福祉施設から町に出て、トラムでコンサートをした話。ケア職員にとって問題行動をする人々が、ぼくにとってアーティストだった。施設の人々が良い音楽家と思っていた人たちは、トラムの上でも普段通りの演奏だった。問題行動の人々は、サイトスペシフィックだった。環境が変わったら、その状況に合わせた演奏になった。そんな話もした。

 

2014年の「千住の1010人」の話もした。違ったジャンルの人々が出会うプラットフォームとしての「千住の1010人」。プロの演奏家も、アマチュアも、ノンミュージシャンも、色々な形で参加する混沌としたような調和したような音楽の話。

 

40メートルの五線の畑を作ったこと。根っこを壁につけて根っこだけでパノラマ楽譜を作ったこと。そして、スタンダード言語を持たずに、それぞれの言葉で会話するように、共通楽譜を持たずに、それぞれの記譜法で書くしょうぎ作曲の話もした。混沌なのか調和なのか未整理なのか整理なのか。

 

そして、相撲聞芸術の話。昨日、浅田彰さんが中途半端なリサーチでアートぶることに批判的だった。中途半端なリサーチのつもりはなく、本気で相撲から学ぶ気満々で、相撲の勉強を続けている。相撲の歴史も、相撲の身体技法も、各地に伝わる相撲神事も、相撲の音楽的な側面も、、、、、、。リサーチしても、リサーチしても、まだまだリサーチすることなんて、山ほどある。その中の「ねってい相撲」の話をする。そして、そこからJACSHAで「ねってい相撲聞 BC300」を生み出した話もする。ケージは「4分33秒」を作曲した。JACSHAは、「ねってい相撲聞BC300」を作曲した。

 

ネッテイ相撲 2018年10月24日 野村誠 – 日本相撲聞芸術作曲家協議会 / JACSHA

 

ねってい相撲聞B.C.300 を実演し、環境の音に自然に耳を傾け、「プールの音楽会」や「瓦の音楽」の話もして、前田文化での「騒音コンサート」で解体工事との共演の動画を見てもらう。こんな危ないのようやったなぁ、ヘルメットしてても危ないで、と島袋くん。確かに改めて動画で見ても、印象的。イギリスのヨーク大学でやったレクチャーでも、解体工事とのコラボは反響大きかった。香港のレジデンス中の「QQQ(Quite Quiet Quintet)」の動画も見てもらう。

 

終わった後も、学生たちと交流会も持てて、小林ルネさんやヤノベケンジさんや、片岡真実さんの後任の中山さんなどともお話できた。いろいろ、興味深い話いろいろあり。それにしても、島袋くんを2週間も味わい尽くせる学生さんたち、恵まれた環境だなぁ。