野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

耳をひらけば、相撲は音楽であり、音楽は世界であり、世界はカオスであり、カオスは共鳴である

今日は一日中、相撲のことしかしていなかったかもしれない。

 

その1 毎朝恒例の「四股1000」。深層筋を使うことについて、砂連尾さんが力説する。肩までが腕ではなく、さらにその内側に内腕があり、足までもが腕であるという話が竹澤さんから出る。四股という単純な動きを1000回も繰り返すことで、逆に身体の細部の感じ方がクローズアップされてくる。そして、一人ひとりが違うカラダを持っているから、一人ひとりが全く違うことを言う。それが、それぞれの体にとっての真実なのだ。

 

その2 リサーチ。神田さんから、大正時代までの足をあまりあげない四股が現代の派手なパフォーマンスの四股に変わったのは、横綱玉錦の頃だと聞く。「写真図説 相撲百年の歴史」を開き、昭和初期の相撲を丹念に調べてみる。すると、春秋園事件が起こって、西の幕内力士全員を含む数十名の力士が脱退したために、観客が入らず、ガラガラの客席になった時代であることがわかる。閑古鳥になった大相撲に魅力を持たせるために、編み出されたのが、現代のパフォーマンスとしての四股なのかもしれない、という仮説を立ててみた。

 

その3 作曲。高砂部屋マネージャーの一ノ矢さんの原作で、浪曲地歌「初代高砂浦五郎」とでも呼べるような新曲を作曲中。高砂浦五郎は明治時代に東京の相撲協会を離脱して、力士を十数名伴って名古屋で相撲を展開した。そして、その時に名古屋甚句の影響を受けた相撲甚句が生まれて、のちに東京に復帰して以降、現代まで大相撲に残る相撲甚句につながる。だから、「初代高砂浦五郎」に相撲甚句が出てこないわけにはいかないと思えてきた。相撲甚句の名人でもある一ノ矢さんに、高砂浦五郎に関する相撲甚句を作詞していただくようにお願いすることを思いつきメールをする。一ノ矢さんも、相撲甚句は作ろうと思っていたとのお返事。

 

その4 秋の城崎国際アートセンターでのJACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)のレジデンスで、映画監督の波田野州平さんに撮影で関わっていただくので、JACSHAと波田野さんの顔合わせミーティング。波田野さんが秋田の大館で作ったドキュメンタリーとフィクションが交錯するような作品の話など、非常に興味深い上に、相撲も大好きなようで、楽しみで仕方がない。

 

その5 2021年以降のJACSHAの展望に関する壮大なミーティング。JACSHAはジャクシャと発音する。Japan Association of Composers for Sumo Hearing Artsの略。ジャクシャは弱者を連想する。確かに社会的にも認知度が低い弱者であるかもしれない。しかし、我々の構想は甚だしく壮大である。これを、ビジネスの視点から見たら、経営は成り立たないし、利益は生み出さないし、金銭的に実現性が甚だ乏しく見える企画案の数々である。しかし、我々の構想は、そうしたビジネスの論理を無効にする発想で成り立っている。壮大な計画であり、壮大な構想であって、溢れ出てくる創造の泉であって、様々な世界と繋がっていくプロジェクトであるのだ。それは、あまりにも面白く楽しく、ゲラゲラと笑い転げながら、打ち合わせが続く。誇大妄想と人は思うかもしれないが、誇大妄想ではなく、リアルなプランである。「オペラ双葉山」というプロジェクトは、現存するどんなオペラの規模を遥かに凌ぐプロジェクトであるし、現存するいかなる舞台芸術の枠組みを大きく逸脱するものだ。だから、誇大妄想と思われるかもしれない企画を、どのように実現可能なのかの見取り図を描く必要がある。その設計図としての楽譜/戯曲にあたる本を書く必要がある。その本をつくることが、(広義の)作曲になるが、本そのものが舞台になるだろう。そんな本を、書きたい。そうやって、ゲラゲラと笑い転げながら、深夜まで何時間も会議が続いていった。はーーー、どすこい、どすこい。