野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

みるときくの、むこうがわ

門限ズとボーイズによる公演『みるときくの、むこうがわ』(@穂の国とよはし芸術劇場PLAT)を行った。(門限ズ=演劇+ダンス+音楽+アーツマネジメントのクロスジャンルバンド、ボーイズ=身体に障害のある俳優によるトリオ)

 

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視覚障害者、聴覚障害者を対象にした劇場ツアーの中で行われる23分のショートパフォーマンスで、

 

シーン1 じょほんこ+もりっち(導入のトーク)(UDトーク、手話通訳)

シーン2 あゆきち+けい(漫才)(字幕、手話通訳)

シーン3 のむ+けい(ピアノデュオ)(絵楽譜ライブドローイング)

シーン4 あゆきち+えんちゃん(ダンスデュオ)(実況、ピアノ)

シーン5 めい+もりっち(結びのトーク)(UDトーク、手話通訳)

 

という構成で、ぼくはシーン3とシーン4でピアノを弾いた。シーン4では、見えない人のために、じょほんこがダンスを実況していく。それは、ダンスの説明であると同時に、じょほんこという俳優によるパフォーマンスでもあった。ダンスを言葉で説明していく関係だったが、実況が言ったことをダンスが後追いして関係性が逆転するのも面白いかもなぁ。

 

音楽と演劇とダンスの重ね合わせは、聴覚障害の人にとって、音楽は聞こえないが、ダンスを通して、音楽を感じることができ、視覚障害の人にとってダンスは見えないが、実況を通してダンスを感じることができる。

 

といった実験ができたことに手応えを感じていたが、実際に鑑賞した人たちはどうだったんだろう、と思ったが、とっても喜んでおられたというフィードバックをいっぱいいただいた。ちゃんとお客さんに届いていたことが嬉しい。それと同時に、視覚障害聴覚障害の人にとって、劇場体験ができる機会が少ない現実がある。今回の機会も、九州大学の長津結一郎先生が、文科省から研究費をとって実現していることだ。

 

夜は、長津先生のレクチャーがあり、後半には、門限ズとボーイズも参加してのトークとなった。長津結一郎は、本日のような公演を実現するプロデューサーであり、大学教員として教育活動に携わっていて、アーツマネジメントの研究者として本や論文を多数発表している一方、パフォーマーとして河合拓始のコンサートに出演したり、ドラマトゥルグとして村川拓也の演劇に関わったりしていて、いろんな意味で境界を越えていこうとしている人物。

 

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長津先生が学生時代に関わったプロジェクト「マイノリマジョリテトラベル」

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5年前の九州大学のアートマネジメント講座。長津先生は、意識的にピアノのある部屋を会場に選んだ。でも、アートマネジメント講座という特性上、講座の中ではなかなかピアノを弾く必然性がない。実は直前に3か月香港にいて、生ピアノに触る機会がほとんどなかったので、自分自身のリハビリの意味もあって、休み時間にピアノを弾いた。すると、えんちゃん=遠田誠(長身のダンサー)は、「ここだ」と直感したらしく、即興で踊り始めた。そして、それまで車椅子の人と一緒に踊った経験はゼロだったが、あゆきち=里村歩(車椅子の俳優)を挑発しダンスに呼び込んだ。そこからガチのダンスが繰り広げられた。そのダンスは、お互いが境界線を越えて出会うダンスでもあった。その日があって今日がある。

 

けい=廣田渓が「自分に自信がない」と言った。自分のよって立つアイデンティティを探していくと、それは自分と他者の間に境界線を引いていくことになる。でも、その境界線が他者を排除する境界線ではなく、他者とコミュニケーションを始める始まりであるならば、その境界線は大切なものかもしれない。と同時に、他者と切り離された自己など存在しない、とも思う。西洋社会の個人主義の中では自己と他者の境界線が明確でも、ジャワで出会った社会では、自己と他者の境界はもっと曖昧で、相互ケアの関係が強まっている。介助者の助けがあって普段から生活している身体障害者にとっての自己と他者との境界線を想像すること。

 

ぼくらは相互にケアする社会を夢見て、そのためにどうしたらいいのだろう、と日々模索している。そんな中で、イスラエルパレスチナで戦争が起きるような最悪な事例が日々起こっていて、愕然とする。自分と似た人ばかりの集団に属することがストレスがなく、自分と違う特性を持つ他者とコミュニケーションをとることは、不慣れでストレスであったり、怖かったりする。きれいごとは言えるけど、実際には傷つけ合うだけに終わってしまうこともたくさんある。それでも、その境界は越えられる実体験を作れること、それをアートという領域でできること、そして逆にそのことでアートという領域の狭さから広がれることを、ぼくは体感してきた。このことを、もっと共有していきたい。そんな世界に参加していきたい。