野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

四股→反閇→禹歩→門限ズ&ボーイズ→ACD

「四股1000」で大澤寅夫くんが音読してくれた本の中に反閇の足の進め方の話が出る。反閇=禹歩。禹歩には、大地を踏んで霊を鎮める意味もあるが、足の不自由な人という意味もある。

 

禹歩=反閇=障害のある歩き=大地を鎮める方法

 

愛知県北設楽郡に伝わる花祭りにも、反閇が出てくる。作曲家の戸島美喜夫には、愛知県北設楽郡民謡による「柿むき」というピアノ曲もある。そのことを思い出して、ピアノで「柿むき」を弾いてみる。

 

九州大学ソーシャルアートラボ主催のオンラインイベント、長津さん、村谷さん、真崎さんら九大チームと、NPO法人ニコちゃんの会が、福岡で何やら面白いことをやっている。倉品淳子が障害のある俳優たちと演劇をつくっている、などということは、前情報としてあった。2年前に、門限ズとして呼ばれて言って、出会い頭に、倉品演出の演劇に出た俳優のモリッチとアユキチに出会い、面白かった。昨年は、モリッチ、アユキチに加えて、ケイにも出会い、この3人が三者三様だった。発語でのコミュニケーションが不自由な分、身体での表現力が高いアユキチは、えんちゃんとのダンスのコラボレーションに向いていた。筋ジストロフィーで筋肉を極力使わずに生活しているケイは、言葉が雄弁で、独特のハーモニーでの弱奏のピアノを弾きながら語る。ぼくとのデュオを始めた。筋トレをしまくって手品もするモリッチは、人を笑わせるコメディアンの資質もある。メイとトークをやってもいいし、ジョホンコとガチで演劇をつくってもいいのかもしれない。

 

詳しくは、こちらにアーカイブ

 

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今日のワークショップでは、ケイが自分の障害について語り始め、個人的な体験を語りながらピアノを弾く。それに、ぼくも即興でピアノを弾く。そんな中、施設で水筒を楽器に演奏する人に感銘を受けた話をする。その流れで、参加者に身の回りにあるもので音を出してみるように言う。観客になって聞いているつもりだった人々が、突然、創作を始める。自然な流れだった。

 

エンちゃんとアユキチの遠隔デュオダンスも可能性を感じた。アユキチのダンスは気迫溢れるものだが、カメラを担当しているゴンさんは、ヘルパーではなく、パフォーマンスの一員である。裏方とキャストは、当然ながら、一緒にセッションをしている。支援員、カメラマン、ドラマトゥルグ、いろいろな呼称が考えられるし、どの呼称の枠に収まらないのかもしれない。一言でアーティストとかマネジメントとかケアとか、そんな枠組みにはハマらないかもしれない。そうした名前がつかないかもしれない領域を、一緒に切り開いていく仲間とのつながり。それをつむぐこと。演劇と音楽とダンスの領域を越境するとか、そんなことを言いたくて門限ズやってるわけではない。アートとマネジメントの領域を越境する、とかが言いたくてやってるわけでもない。要するに、まだ名前がついていない何かが芽吹いていて、それを、既存の枠にはめちゃうのはもったいない。そのまま伸び伸びと育んでいきたい。それを、アートというのか、作品というのか、芸術というのか、プロジェクトというのか、コミュニティというのか、ソーシャルというのか、まぁ、どれも合いそうだし、どれもしっくりこない。でも、直感としては、面白い未知の分野が生まれてくる。それが、どの方向にグングンと伸びていくかわからない。だから、長津くんとか、ニコちゃんとか、門限ズとか、ボーイズとか、よって集って、三人寄れば文殊の知恵なんで、ここ掘れワンワンなのだ。14年前に、取手で「あーだ・こーだ・けーだ」ってやっていたことから、色々なものが溢れてきたし、あの当時は、それが何なのか、誰も形容できていなかったけれども、14年経ってみると、あそこから始まったことが山ほどある。今は預言者みたいなことしか言えないけど、今日のことから始まる直感あり。今日は完成形じゃなくって、始まった感じだったので、あとは、いろいろ越境した何かをどう展開していくか。でも、今日いた人々が、いろんな役割にカメレオンして変われるので、期待できる気がする。意味不明だけど、予言しておきます。

 

戸島美喜夫の合唱曲がいろいろYouTubeにアップされている。名古屋の民謡や、北設楽郡の民謡などを起点に作曲している。新曲「世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ」の作曲は佳境に。

 

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