野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

中﨑透『フィクション・トラベラー』/門限ズのクリエーション

昨日に続いて、里村さんと遠足。水戸芸術館の現代美術ギャラリーで中﨑透『フィクショントラベラー』が開催中なので、見に行く。中﨑さんは、一昨年、オンライントークでご一緒した時に色々お話したので、この個展は見なければと思っていた。

 

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展覧会は、めちゃくちゃ面白かった。この展覧会は、非常にカラフルで、饒舌で、情報量は多く、賑やかで祝祭的なのに、同時に、ストイックだと感じたり、寂しいとか感傷的な気分になったり、さらには静謐ささえ感じる(里村さんは、「切ない」何かを感じるというような表現をしていた)。表面上のポップさや楽しさの膜の向こうにある別のレイヤーが、中﨑透というアーティストの特徴なのかもしれない。

 

まずは、中﨑透というアーティストのことを、ぼくはよく知らないので、彼の20年以上の歩みに出会えたこと、そこから見えてきたことを書いてみよう(展示は、そのような会場構成にはなっていないけど)。

 

会場には、カラフルなネオン管によるオブジェがある。パネルに描かれた絵がある。水戸市内の人にインタビューしたテキストがある。ネオン管の看板がある。同じ言葉を叫びながらパフォーマンスする映像がある。陶芸もあるし、ドローイングもある。こうした中﨑さんの一見バラバラに見える活動は、すごく繋がっていて、その起点として卒業制作はとても重要に見えた。

 

中﨑さんは2001年、武蔵野美術大学の卒業制作で看板を制作して以来、20年以上、看板を作り続けていて、今回も看板の公開制作をしていた。卒業制作ではパネルに描いていたが、その後、ネオンを使った看板を始め、さらには、看板に意味のないオノマトペ「イエイエイエイエ」が描かれ、徐々に言葉や意味が消えていき、最近では、文字のないネオン管によるオブジェが登場してくる。

 

芸術の枠から飛び出そうと「反芸術」、「超芸術」、「脱芸術」などを標榜しての活動が20世紀にはあった。中﨑は芸術の枠から飛び出して「看板」に取り組んだ上で、その「看板」の枠から飛び出して、「反看板」、「超看板」、「脱看板」にたどり着いた。つまり、中﨑さんは、「反・反芸術」、「超・超芸術」、「脱・脱芸術」をやっている。中﨑さんの20年の歴史を知ると、単なる「芸術」から2回反転して「超・超芸術」に行く物語が体験できる。

 

それにしても中﨑さんはたくさん作る。でも、量産ではない。卒業制作でも、100人に取材して、100の看板を制作している。結構、巨大だ。何もそんなにやらなくていいのに!でも、一つひとつと向き合って、一つずつに細かく工夫している。だから、たくさん作ってるのに、量産型じゃない。

 

卒業制作のファイルが置いてあった。100人の人から100円で看板制作のオーダーを受けて制作した100の看板を展示した時の書類と写真が5冊のファイルで見られるようになっていた。100点もあるのに、それぞれ依頼主の要望を取り込んで看板を仕上げている。だから、同じテイストの看板が100個ではなく、一個ずつにドラマがあり、こだわりがある。でも、100個一斉に展示されたら、物量が醸す祝祭感に圧倒されるけど、100の対話があり、100の駆け引きがあるから、実は細部が面白い(里村さんは、泊まり込んで鑑賞したいと言ったけど、それは細部を面白がる視点で、マクロに見るだけの人は、1時間で全部を鑑賞してしまうだろうし、細部を楽しみ始めたら永遠に見どころがある作品だ)。

 

根源的な問いもある。学生時代の中﨑さんは、「アーティストはなぜ作品を作るのか?」という問いに向き合ったのだろう。かつて、聖書の教えを伝えるために、宗教画を描いていた時代もあった。近代社会では「神は死んだ」ので、アーティストは自己表現として絵を描くようになる。20世紀に、新しい価値観を構想する人を「アーティスト」と言うようになり、コンセプトそのものがアートとなった。コンセプトを立案する人がアーティストで、実際に絵は職人に発注することも生じる。こうした現代美術の状況を逆手にとって、中﨑さんは看板屋になった。看板を描くのは中﨑さんだけど、どんな看板にしたいか発注者の要望に応じた看板をつくる。じゃあ、これは、誰の作品なのか?と。

 

こうした構造を炙り出すためだけだったら、100点も看板を作らなくていい。でも、中﨑さんは、その後も看板を作り続け、手作業と細部へのこだわりと対話を通して、微かな逸脱を続けている。そして今では、「脱看板」≒「脱脱芸術」≒「芸術」にも手を広げ、水戸芸術館で『フィクション・トラベラー』を開催している。

 

『フィクション・トラベラー』という展覧会は、水戸市民へのインタビューに基づく水戸の記憶に関するフィクションを旅するかのような体験の体裁をとっている。でも、ぼくには、「芸術」に疑問を投げかけた「脱芸術家」としての「看板屋」の物語が強く訴えてきた。「脱脱芸術」と「芸術」の微かな差に耳を傾ける貴重な機会になった。他にも中﨑展が訴えてきたことは、たくさんあるけど、書き始めるとキリがないので、今日はここまで。

 

今回は、中﨑さんご自身ともお会いできたし、水戸芸術館のコンサートホールの中村さんや高巣さん、現代美術ギャラリーの森山さん、広川さん、竹久さんとも、短い時間だけど、お会いできてお話もできた。また、水戸に遊びに来たい!

 

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夜は、門限ズのオンライン・クリエーション。3月5日の豊川公演『あっちこっちde門前ズ!?』に向けて。民話「馬方弁天」を12分割して、25%を演劇で、25%をダンスで、25%を音楽で、25%を雰囲気(=アーツマネジメント)で上演することにして、それをさらにソロ、デュオ、カルテットに振り分けてみた。

 

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