野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

コロナ以降の音楽と相対性理論と量子力学

今朝の「四股1000」はインタビュー形式。「私と相撲」のテーマで話してみると、運動音痴だったぼくが、小学生時代唯一クラスメイトの男子たちと対抗できたのが相撲だった。速く走れなくても、高く飛べなくても、腕力がなくても、相撲だけは勝てた。相撲で技を繰り出すように、ぼくは音楽でもアートでも、意外な技を繰り出して、自分を表現しているのかもしれない。相撲に感謝。

 

10月28日に世界初演になる野村誠の新曲「世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ」の曲目解説を書き始めたが、書きたいことがあり過ぎて、なかなかまとまらず、今日は途中まで。

 

パンデミックで移動が大幅に減ったが、さらには本屋や図書館に出かける機会も減った。だから自宅という図書館を楽しむことになる。イギリスの作曲家John Tavenerの伝記を少し読む。宗教音楽をたくさん書いた20世紀の作曲家で、イギリスでは非常に有名な作曲家。日本では、あまり名前を聞かない。同じく、イギリスの作曲家のHoward Skemptonに関する本も、少し読む。ハワード・スケンプトンは、スクラッチ・オーケストラの創設メンバーの一人で、アコーディオンを弾き、シンプルな音の音楽を書く作曲家。こうしたイギリスの作曲家の魅力を日本の作曲家に伝えたい。別にイギリス贔屓でもなく、イギリスに関する本ばかり読んでいたわけでもなく、世阿弥についての本だったり、相撲だったり、いろいろするのだが、今日はやっぱりイギリス。なにせ、親友のHugh Nankivellの誕生日だ。彼も58歳になるのか。去年の今頃はイギリスに行っていて、ヒューと色々なプロジェクトをしていた。ヒューの音楽は本当に美しく、ユーモアがたっぷりで、大好きだ。また、彼と会って音楽をしたい。

 

パンデミックに対して、新しい動き、新しい表現形態が、どんどん生まれ始めているに違いない。ぼくでさえ、この数ヶ月の間に数々の試行錯誤を繰り返してきた。きっと、思わぬところで思わぬ表現が生まれてきているのだろう。本日は、文化庁のオンラインフォーラム「コロナ以降の現代アートとそのエコロジー「コロナ以降」の国際展とは?」を聞いたりもした。「コロナ以降」の現代アートというが、コロナ以前からその萌芽は出まくっていたはずで、ここに来て、その芽が一気に成長したりしているはず。ここ数年は、コロナ禍という何でもお試し期間になるので、ぼくも自分の能力や想像力の届く範疇を超えて、いろいろお試ししてみたいと思っている。今やっていることに、名前はまだないのだけれども、そろそろ名前がついてくる気がする。とりあえず、できるだけ過激にやりたいなぁ。

 

10月31日の「千住の1010人 in 2020年」は、「千住の1010人 from 2020年」にして、10月31日だけに収まりきらない長期プロジェクトへと発想を転換させていくつもり。1月に作曲した「帰ってきた千住の1010人」も、かなりスリリングな体験になっただろうけれども、リモートで合奏する様々な試行錯誤は、合奏の概念を根底から覆してくれるので、本当に面白い。まず、同時が存在しないのは、アインシュタイン相対性理論の世界。その上、音が聞こえたり聞こえなくなったりして、まるで量子力学のように確率的に存在するような音楽。相対性理論量子力学のような状況で合奏を試みるなんて、ある種、夢幻のような体験。これで困っている場合か!目一杯楽しんで面白がりたい。不思議の国に舞い込んでしまったのだから。コロナの国の音楽会かぁ。まだまだ、もっと面白い楽しみ方があり得るはずで、いくらでも発見/発明してやる。まだまだ、ぼくは入り口で試行錯誤しているけれども、今に見ていろーーー。