野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

踏む作曲、聞く作曲

作曲家の高橋悠治さんは、詩人の藤井貞和さんとコラボレーションをたくさんしている。昨日の「四股1000」で、藤井さんの詩を聞く機会もあった。障害のある子どもがいじめられ自殺してしまった実話らしき話の詩だった。四股を踏みながら、色々な話を聞く。「踏む」と「聞く」、この二つの動詞は、まったく違う意味のようで、自分の中では繋がってくる。聞く作曲家であり、踏む作曲家でありたい。今日、ぼくが踏みながら音読したのは、4年前、与野にある大相撲の入間川部屋の朝稽古を見学に行った時の話。相撲部屋の掛け声があまりにも独特で、それを聞いた甲斐があったという体験。

 

ピアノを即興で弾きながら、「千住の1010人 in 2020年」のことを妄想する。妄想しながらピアノを弾くと、ますます空想の10月31日がイメージできてきて、面白くなってくる。こういう作業、しばらく続けよう。

 

9月6日の北斎バンドの公開収録に向けて、追い込み中。演奏予定曲目も確定し、新曲も作曲したので、もう大筋は確定したようなものなのだが、今回、自分自身が何を大切にしているのか、それを自分なりに明確にするために、自分の心を整理する作業をしている。昨日は、13年前から10年前までの3年間に及ぶ北斎漫画の音楽を求める自分のリサーチの軌跡を辿ってみた。今日は、過去の音源や動画をチェックして、当時の自分が北斎漫画四重奏曲で何をしようとしていたのかを確認した上で、今回、自分が何をしようとしているかを考え直してみようと思った。

 

10年前に「野村誠×北斎」をやった時、リサーチしたことが作曲に反映されるのかというと、それほど反映されていないかもしれないが、それだけ調べると、だんだん北斎が自分の身体化されてきて、北斎が他人事じゃなくなる。そうした体感を少しずつ思い出す。

 

2012年のアサヒビールロビーコンサートでやった北斎漫画四重奏のコンサート音源を全部聴き、さらに2010年のアサヒアートスクエアで行なった「野村誠×北斎」の公演の記録動画を全編見てみた。2012年のコンサートでは、「原発なくてもええじゃないか、放射能なくてもええじゃないか」と歌っている場面があり、今、コロナウイルスに感じている違和感や戸惑いは、当時は放射能汚染や原発だったと思い出す。きっと、2030年頃には、放射能でもなく、コロナでもない、新たな問題に遭遇するだろう。原発のこと、コロナのことに向き合わないでいると、結局、また次の何かが出てきた時に同じように大変な思いをすることになるから、後手に回ったとしても、原発に対して、コロナに対しての向かい方を試行錯誤することは、未来の災害に備える大切な練習のような気がするのだ。だから、ごまかさずに向き合いたい。

 

こうしたことを見直していく中で、木琴のことを色々思い出す。音楽学者の森重行敏さんが、インドネシアの職人に江戸時代の木琴の浮世絵を見せて作らせた木琴があったことを思い出した。そして、どうしても、この木琴を片岡祐介さんに鳴らして欲しい気持ちになって、ダメもとで森重さんに連絡する。速攻で、ぜひ、使ってくださいと返信が来る。こんな風にして、少しずつ9月6日の公開収録が深まっていく。

 

2010年のコンサートで上演した10曲のうち、2011年の小布施、2012年の東京、2015年のクアラルンプールで発展し再演され続けた作品もあるし、2010年しか演奏しなかった曲もある。2010年しか演奏しなかった「鳥風」という曲や「ODORO ODORO CIRCUIT」という曲が即興の要素もあり面白い。その後、マレーシアなどでも一緒に時間を過ごした北斎バンドのメンバーと5年ぶりに再会すると、ますます面白い音楽に熟成されそうな気もする。

 

コロナで不要不急の外出をしないを心がけたために、区役所に提出しなければならない書類などが山積みになっていたが、本日意を決して区役所へ。いろいろ片付き気持ちがすっきりする。

 

北斎は色々な名前を名乗ったが、借金する時は「へくさい」と名乗ったらしい。こういうどうでもいいような話を思い出せて嬉しい。