野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

北斎漫画と四重奏と2089年と隅田川

人に会う数よりも虫に会う方が圧倒的に多い青森の森の中に滞在しておりましたが、一泊だけ虫よりも圧倒的に人に会う東京に行きました。アサヒビール・ロビーコンサートで「野村誠×北斎」が開催されるからです。

一昨年のアサヒアートスクエアでのコンサート、昨年の小布施のコンサートに続く3回目。回を重ねるごとに演奏の味わいも濃くなっております。


多数の皆さんにご来場いただき、素敵な演奏家(箏:竹澤悦子、尺八:元永拓、木琴:片岡祐介、イギル:尾引浩志)に演奏されて幸せです。これで、完成というよりは、ここから広がっていきたいなぁ、と思っております。次回は、また、少しだけ(無理のない範囲で)膨らませられそうな予感です。

観客席には、盲導犬を連れて来ている視覚障害の方もおられました。北斎の描いた木琴奏者と琴奏者は、視覚障害の人だったので、そのことが関係していたのかもしれません。犬が静かにコンサートを聴いてくれていたのが印象的でした。




プログラム

1 野村誠作曲 「2089の隅田川」(野村誠:鍵盤ハーモニカ) “Sumida River in 2089”

2 野村誠作曲 「北斎漫画四重奏曲」 Hokusai Manga Quartet

1) 序曲「あほくさい」 Overture "A Hokusai"
2) 木琴コンチェルト「鳳凰」 Xylophone Concerto "Phoenix"
3) 寸劇「ええじゃないか」A short play "It is good, isn’t it?"

休憩

4) 「すみだサーキット」"Sumida Circuit"
5)  南の北斎「富士越龍」Hokusai in the south "Dragon Flying over Mt. Fuji"
6) マイナーバンド「潮干狩」 "Shellfish Gathering on the Beach" by a minor band

北斎漫画四重奏曲」

北斎漫画四重奏曲」は、葛飾北斎が描いた一枚の絵から発想した音楽です。それは、(ぼくの眼には)尺八、胡弓という日本の楽器、中国の琴、インドネシアの木琴による四重奏に見えました。まるで、江戸の人々が日本の楽器と異国の楽器を混ぜ合わせてセッションする自由な遊び心から、インスピレーションを受けました。
その後、アサヒアートスクエアの企画で、2009〜2010年にかけて、「野村誠×北斎」を開催し、専門家によるレクチャー、ワークショップなど、作品制作のプロセスを一般の方々と共有いたしました。「江戸の音楽」や「北斎」について調べていくのは、本当に面白いのですが、史実を検証していく面白さも、ある一線を越えて厳密性を追求し過ぎると、想像する喜び、創作する可能性を狭めてしまうことに直面しました。江戸時代の音楽を忠実に復元しようとすると、作曲という作業の創造する余地がなくなってしまうわけです。
そうではなく、北斎の懐の広さや、江戸の遊び心に敬意を表し、そうしたスピリットこそを再現しようと考えた時、江戸の音楽と野村誠の音楽は融合し、より自由になれました。最初は、中国の琴と、日本の胡弓の演奏家を探していたのですが、自由な発想から、中国の琴の代わりに日本の箏、日本の胡弓の代わりにイギル(トゥバ共和国の胡弓)としました。本日は、さらに発想を自由にして、三味線、口琴、鍵盤ハーモニカなども登場させてみようと思っております。
アサヒアートスクエアのコンサートが好評であったため、北斎が晩年に何度も訪れた小布施(長野県)にてコンサートを行えないかとの提案をいただき、昨年は、小布施にてコンサートを開催いたしました。その際には、小布施の北斎館に所蔵されている肉筆画などをモチーフにした楽曲を演奏して欲しい、との要望があり、「鳳凰」、「富士越龍」、「潮干狩」などの曲が生まれました。
 本日、これからお聞きいただく音楽は、19世紀の江戸に存在した音楽の復元ではなく、19世紀の江戸にあった音楽を想像することによって生まれた音楽です。それは、未来に向けて発展していく現在進行形の江戸時代の音楽であり、人々の関わりが作品を変化させていく野村誠の音楽です。今後も少しずつ姿を変えて発展していくことでしょう。
それを、抜群のセンスで演奏してくれる精鋭演奏家が料理してくれます。どうぞお楽しみください。 


1) 序曲「あほくさい」

北斎は、画狂人、画狂老人、卍など、様々な画号を持ちます。そうした北斎の名前を連呼しながら生まれた序曲。音楽的には、箏曲の巣ごもり地から着想を得ました。

2) 木琴コンチェルト「鳳凰」 Xylophone Concerto "Phoenix"

北斎漫画」に描かれた木琴奏者は、手を高く振り上げています。この手を高く振り上げていることに着眼し、木琴奏者の合図により四重奏が演奏していたという仮説に基づいて作曲したのが、この曲。木琴はソリストであり、指揮者の役割も果たしています。そこに、小布施の岩松院の天井画「八方睨みの鳳凰図」の迫力を、尺八が主導で表現しています。

3) 寸劇「ええじゃないか」A short play "It is good, isn’t it?"

北斎漫画に描かれた服装から判断すると、木琴と箏は座頭(盲目のプロの演奏家)、尺八を吹いているのは虚無僧、胡弓を弾いているのは普通の町民、と推測されるのだそうです。そこで、プロの演奏家の二人(木琴と箏)が練習をしていると、そこに虚無僧がやって来て怪しい雰囲気になるが、そこに町民がやってくると、みんなが楽しくなって、バンドを結成することになった、という設定を考えました。バンドの練習は、最初うまくいかないのですが、オリジナルソングが生まれ、最後には盛り上がります。こんな歌詞です。

牛嶋神社で雷神様が
まわしを締めて花魁道
屋形船で白魚食べた
輪廻転生 屋形船

牛嶋神社で雷神様が
川を上って花魁道
牛嶋神社の路地裏で
白魚と雷神様がねんごろ


4) 「すみだサーキット」"Sumida Circuit"

「す」と「み」と「だ」を巡るサーキット。各奏者の関係性のルールを作曲した最も自由度の高い音楽。様々な音響の組み合わせが楽しめますし、各奏者の声色の違いも楽しめます。


5)  南の北斎「富士越龍」Hokusai in the south "Dragon Flying over Mt. Fuji"

北斎漫画」に描かれた木琴は、インドネシアの木琴ガンバンに形状が似ています。そこで、ジャワ・ガムランのガンバンの演奏スタイルを模して、日本の箏の雲井調子で演奏したら、どんな音楽になるだろう?そんな疑問から生まれてきたのが、この曲です。インドネシアでも日本でもない独特な音楽が立ち上がります。北斎晩年の画「富士越龍」と、北斎晩年の言葉や辞世の句を加えております。

己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕す といえども 七十年前画く所は実に取るに足るものなし
七十三才にして稍 禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶 其奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願わくは長寿の君子 予言の妄 ならざるを見たまふべし

辞世の句  人魂で 行く気散じや 夏野原


6) マイナーバンド「潮干狩」 "Shellfish Gathering on the Beach" by a minor band


小布施の北斎館にある肉筆画「潮干狩」の風景から着想を得た作品。ゆったりとした尺八のメロディーによる海の場面と、32分の7拍子による箏と木琴によるリズミカルなオスティナートによる人々の場面が交互します。最後には、空(=ソラ)の音楽となり、ソとラの音だけになっていきます。