野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「地域アートはどこにある?」 時間芸術としての美術プロジェクト

実は、一昨日あたりから体調を崩していて、無理をせずに、ゴロゴロしている。元気だと起き上がって本を読むのだが、ゴロゴロしていたいので、YouTubeで動画を見てのんびり過ごす。

 

この世界中から公募で集まった80人の作曲の5秒の曲をつなぎ合わせた曲は、みんな5秒の中でいろいろ表現しようと頑張った力作の結集。こんだけいたら、誰か知っている人いるかなと思ってみたが、知っている人はいなかった。あと、日本から全く知らない人が登場するのでは、と注意して見たが、日本からの参加もなかったようだ。ちなみに、この動画は今年の1月に公開されているので、緊急事態宣言より前の作品。世界には、いろいろな国があり、いろいろな作曲家がいるのだなぁ、と思う。そして、こんなにたくさんの人が応募したのに、図形楽譜や普通の記譜じゃない楽譜の作曲家は一人もいないのだなぁ、と思った。

 

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十和田市現代美術館「地域アートはどこにある?」(堀之内出版)の感想文の第3回を以下に。

 

この本のp.58から、クロストークのコーナーが始まる。クロストークは6つあるのだが、そのうちの3つを読んだ。印象的なのは、それぞれの登壇者が自分の活動/仕事を説明する上で、とにかく自分史を語る点。つまり、ほとんどの登壇者は、道なき道を切り開いてきた開拓者で、それぞれに違う興味から活動を継続してきている。様々な活動を経て現在はこのようなことをやっている、と結局自分史を語ることになる。そして、道なき道を切り開いてきた結果としての今の活動があり、名前のない分野を切り開いてきた。それぞれの思い入れがある。だから、それぞれが「地域アート」という括られ方をされると、違和感や嫌悪感を覚えると言う。各自の自分史を通して語られる活動の物語は、意味、先駆性、美学、仕組み、共同性など、様々な角度からとにかく面白い実践のように聞こえるので、実際にその現場に行ってみたくなる。wah projectの家を持ち上げるプロジェクトだったり、チェ・ジョンファの数百年たって完成する野外作品だったり、新聞社のプロジェクトがいつの間にか朝顔のプロジェクトに移行していたり、、、、、。そこには、複雑な事象が入り組んでいて、どこの話を掘り起こしても面白そうだ。それぞれの物語が、本当に面白く読めた。

 

この本の最後に、藤浩志の自伝的小説がついている。この本で展開される様々な「地域アート」と分類されるかもしれない様々な不定形な分野を、不定形なまま理解するのは、実はかなり難しい。だから、それぞれの実践者の自分史を追っていくことは、理解の助けになる(逆に、こうしたプロジェクトをそうした歴史や時間から切り離して、瞬間で切り取って理解/解釈することは、かなり難しいのかもしれない)。美術でありながら、ある種「時間芸術」と言える。

 

今から26年前、ぼくがブリティッシュ・カウンシルのフェローシップで1年間イギリスに住んだ時に、大都市ではなく、小さな町にコミュニティミュージシャンという職業の人がいることに驚いた。ぼくが出会ったJane Wellsは、行政から年間で定額をもらって、町でいろいろな音楽のプロジェクトをしていると言った。ホールを建てても、事務職は雇っても、アーティストを雇うなんてと驚いた。あの時は、そうしたイギリスの人々の境遇が羨ましくもあったし、でも、お金にならない日本で変なことしてきた自分や友人たちの方が、圧倒的に面白いことしていると、負け惜しみ的に思ったりした。あれを思うと、「地域アートはどこにある?」などという本が出るくらいに、日本の状況は変わったんだなぁ、と思う。そして、注意深く見ていけば、かなり変なこと、面白いことが日本のあちこちで起こっている。もちろん、つまらないこと、面白くないことも、日本のあちこちで起こっているだろう。

 

それと、クロストークの登壇者の多くが実践者(アーティストや運営サイド)で、評論家は藤田直哉さん一人だけだった。逆に、批評の可能性については、藤田さん以外にも他の批評家を交えて論じてみてもよかったのかもしれない、と思った。名前をつけること、理論化することも、もちろん必要だと思うので、そうした立ち位置の専門家何人かでのクロストークも、もちろん続編としてあってもいいと思う。

 

養父の「ねってい相撲」にしても、岩槻の「古式土俵入り」にしても、淡路島の瓦産業にしても、商店街、祭り、郷土玩具、様々な魅力的な個人やネットワークなど、日本全国に様々な地域資源があって、それらは、ギリギリまだ残っていて、めちゃくちゃ面白かったりする。さらに、都市の生活に見切りをつけて過疎の地域に移住した人の暮らしぶりなどにも、ポスト資本主義のヒントがたくさん垣間見えたりすることもある。そういう意味では、今のうちにやっておかないと、ということが、いっぱいあるだろうし、「地域アートはどこにある?」は、2020年には、いろいろな面白いことが起こっているだろうが、それは、下手をすれば、近い未来にはなくなってしまうかもしれない貴重なアートのように思う。なんとか見に言ったり、鑑賞したり、企画を継続したり、続いていくことを祈る。