野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

多層構造の「地域アートはどこにある?」

昨夜、坂本公成くんが2009年にパンデミックをテーマに作ったダンス作品「レミング」の動画が公開されているので見た。今、この時期に、この作品を観れてよかった。公成、ありがとう!

 

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今朝も、朝から四股を1000回踏む。毎日続けたら飽きるどころか、日々、徐々に変化してきて、楽しさが増してしまっている。1000回があっという間になっている。これが音楽に影響があるかどうか、そんなケチなことは考えていない。別に役に立たなくったっていい。とりあえず、面白いし楽しいので、のめり込んでいる。今日は、ついに参加者が10人を超えて、随分大勢での四股の時間だった。

 

午後、「音楽の根っこ」のオンライントークの4回目。鈴木潤さんと共著で書いた「音楽の根っこ オーケストラと考えたワークショップハンドブック」について話す。編集の岩淵拓郎さん、プロデューサーの柿塚拓真さんと4人で話す。これまで6年間、日本センチュリー交響楽団と実践してきた音楽プロジェクトのドキュメント本になっているが、岩淵さんが言うように、この冊子をこれからどのように活用していくかが肝心なので、完成で終わるのではなく、ここから始まっていく、ということなのだろう。世の中にたくさん「報告書」があるけれども、「報告書」が起点になれるといいと思う。ぼくの本「音楽の未来を作曲する」(晶文社)で、「報告譜」といったり、「ポストワークショップ」と言ったりしたけれども、実際に起こった出来事をドキュメントすることが、クリエイティブであり得るし、プロダクティブであり得ると思うのだ。

 

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さて、この「音楽の根っこ」という冊子ができたほぼ同時期に、十和田市美術館編「地域アートはどこにある?」(堀之内出版)という本が出た。この本のイントロ部分について、1週間ほど前(5月4日)に感想文を書いた。今日は、展覧会のドキュメントについて。この本のp.16からp.57までの42ページを割いて、「ウソから出た、まこと」という昨年の展覧会のドキュメントにページが割かれている。北澤潤の「Lost Terminal」は、十和田という町に、間違い探しのようにジョグジャという別の町の要素を重ねたダブルシティ状態を生み出した。一方、ナデガタインスタントパーティーは、美術館の展示室の中に、ミュージアムをつくった。ミュージアムの中にミュージアムというダブルミュージアム状態を生み出した。藤浩志は、自分の30年前の実話をもとに小説をつくり、実話と小説の重ね合わせによるダブルストーリー状態を生み出した。要するに、3つの作家それぞれが、二重構造になった作品を生み出している。

 

さらには、この企画全体も二重構造になっている。つまり、地域住民の体験や交流の場が主たる目的で、その成果として展示もあったとも見えるし、展示作品が主たる目的で、作品を生み出す準備/プロセスとして地域住民との交流を行なったようにも見える。どちらがニワトリで、どちらがタマゴなのかは、はっきりしない。50%、50%でそれぞれにウエイトがあるのか、それとも、どちらかに重点があるのか?それについて、美術館も作家もはっきりとは言及していない。ぼくは、これは表裏一体なのだと思う。ニワトリはタマゴを産むし、タマゴがかえりヒヨコが育てばニワトリになる。ニワトリとタマゴは循環する。地域をリサーチし作品の構想を練り上げる創作過程を作家とシェアする場をワークショップなどと呼び、そうして生まれた作品をシェアする場を展覧会と呼ぶ。あとは、そうして生まれてきたことを記録しシェアする場をドキュメントと呼ぶ。このワークショップ+展覧会+ドキュメントは相互関連していて、これら全部をまとめてプロジェクトと呼ぶのだろう。

 

さてさて、二重構造を、鑑賞者と作者の関係で考えてみたい。例えば、参加型と呼ばれるアート作品に、能動的に参加し体験することで、主体的に鑑賞することができる。関わり方によっては、作品やプロジェクトと自分自身の距離はグングン近づき、自分の作品だと感じることさえできる。作品の中に自分の存在を見つけることができる。これは、実は、何も「参加型アート」と呼ばれる作品だけに限ったことではない。絵画作品でも、オーケストラ曲でも、その作品の鑑賞者が作品の中に自分の居場所を見つけることができれば、その作品は作家の作品であると同時に、鑑賞者自身の作品になる。それくらい能動的な主体的な鑑賞は、いくらでもあっていい。作品は、作者だけでは成立しない。鑑賞者が作品の中に鑑賞者自身との関わりを見つけて自分の鑑賞の仕方を見つけた時に、初めて成立するのが作品だと思う。この作者と鑑賞者のダブル当事者状態こそが、芸術という交換/交感なのだと思う。

 

さてさて、そのような様々な二重構造が何重にも重なった「ウソから出た、まこと」という展覧会。その様々な二重構造の面白さを42ページの紙面から想像し、自分なりに脳内で再構築していくのは、実はそれほど簡単ではないかもしれない。ページの各所に細かいドキュメント写真があったり、現場で起こった出来事のヒントが隠れている。これは、まるでジグソーパズルのパーツのようだ。これらのパーツを読者が注意深く読みながら脳内再構成をすれば、この42ページは本当に面白い。5ページに渡って展開される藤浩志と美術館スタッフのラインのやりとりを覗き見するのは、比較的容易に創作プロセスを想像し追体験できるので、面白く楽しい入り口になる。北澤のプロジェクト、ナデガタのプロジェクトの詳細は、かなり想像力を必要とするが、ほんの1ページを読むだけで、魅力的な絵本を一冊読むくらい想像力が掻き立てられるはずだ。うーむ、この多層構造の多層構造は本当に面白い。いろいろな意味で面白い。細かく語ろうと思うと、もっともっと語れる。でも、今日は、この辺で。

 

次回は、クロストークのページの感想文を書く予定。