野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

オンラインワークショップ黎明期に生きる

昨日は、くたばっていたが、やや復活して、今日は四股にも少し参加。徐々に復調の兆し。

 

昨年、ピアニストの中川賢一さんのお誘いで、夏休みこどもアートサーカス | 公益財団法人としま未来文化財団という催しに参加した。打楽器奏者の野尻小矢佳さん、ソプラノ歌手の鵜木絵里さんと初めてご一緒させていただき、野村が「夏休みこどもアートサーカス」、「あやしいサーカス団」の2曲を書き下ろし、コンサート、ワークショップなどなど、楽しい二日間を過ごした。

 

この発展バージョンを今年の夏休みに開催すべく、いろいろ中川さんや中川さんのマネージャーの北山さんが動いてくれていたようで、本日は、主催者と出演者を交えた遠隔ミーティングが開催された。現状で、夏休みに当初想定していた形で開催するのは難しいので、どのような形があり得るのか、という話し合いになる。今月に入ってから、こういったミーティングが、いろいろ行われている。そして、オンラインでのワークショップは、みんなノウハウがないだけに、想定外で予想がつかない。ある意味、黎明期で、今、そこかしこで、このような模索や試行錯誤が行われているのだろう。ある意味、30年前、日本でワークショップが目新しかった時代に、それぞれの先駆者が色々な試行錯誤をしていたが、そこでは何が起こるか分からない面白さがあったし、何が起こるか分からないからこそ、一番大切にしていることがはっきりしていたように思う。今、オンラインワークショップは、まだ手法が確立化されていないから、いろいろ失敗もあるだろうけれども、黎明期ならではの手探りの面白さがある気がする。だから、こういう手探りの時を大切にしたいと思う。きっと、あっという間に、手法化されてしまったり、スタイルができあがったりするだろうから、それよりも前の今、様々なスタイルがごちゃごちゃにでてくると面白いなぁ、と思う。特に、音楽のワークショップは、同時に音を出すことが不可能なだけに、面白く、新しい可能性の発見のチャンスだ。

 

ハイドン盆栽 第9番」の作曲を完了。これで、ホルスト作曲/野村誠編曲「シャコンヌ」、野村誠作曲「ホルストガーデン」、「ハイドン盆栽 第7番」、「ハイドン盆栽 第8番」、「ハイドン盆栽 第9番」が完成。これらは、当初5月21日に開催予定のハイドン大學のレクチャーで初演するはずで、そのレクチャーが延期になった(開催日は近日発表)。明日に開催だったら、今日猛練習しなければいけなかったのだが。

 

Adrian Thomas著の《Polish Music since Szymanowski》を読んでいて、今日は、ワルシャワの秋現代音楽祭のところまできた。社会主義リアリズムの政策で、ポーランド文化庁の締め付けが厳しく、上演禁止される作品が出てくる1950年代前半。パヌフニクは、1954年にはイギリスに亡命してしまう。ところが、1953年のスターリンの死を境に、風向きは変わる。あまりに保守的な音楽祭の失敗なども契機となり、シコルスキが1954年にポーランド作曲家協会の会長に選出され、彼の弟子である30代の若い作曲家セロツキとバイルトが副会長になり、1956年のワルシャワの秋現代音楽祭に向かって、外国や西側諸国の音楽が入ってくる環境が整っていく。1960年にはNHK交響楽団が間宮、八代、外山、黛の作品のポーランド初演をしているほど、どんどん扉は開かれていった。皮肉なことに、パヌフニクが亡命を決行した直後に、規制が緩やかになったのだ。パヌフニクの作品がワルシャワの秋現代音楽祭で初めて演奏されるのは、21年後の1977年だった。逆に、1933年生まれのペンデレツキやグレツキにとっては、幸運にもデビューの場として新しい音楽を吸収する場として、ちょうど音楽祭が始まったのだった。