野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

片岡祐介と語る「音楽の根っこ」、相撲のリサーチ進む

例によって、オンラインで集い、四股を1000回踏んでいる。

 

今日は、鈴木潤さんとの「音楽の根っこ」トーク第3回(柿塚琢真さん主催)。ゲストに片岡祐介さんを招いて。(以下のYouTubeで聞けます)

 

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よくよく考えると、片岡さんは音大で学んだ人だし、学生時代や若い頃は、オーケストラで演奏したこともあれば、オーケストラの打楽器奏者から学んだこともある人なので、オーケストラの世界を知っている人だった。人に強要されること、やらされることが何がなんでも嫌であり、本当に自発的にやりたいように音楽をすることが生きた音楽になると独自の音楽活動を展開してきた片岡さんなので、オーケストラやクラシックと縁があったこと自体を、今日話すまで忘れていた。近年、助成金などに依らずに活動する形に、切り替えてきているため現在非常に多忙であるという片岡さん。それは、ある意味、ベートーヴェンという音楽家が、貴族をパトロンにする生き方から市民を聴衆にする生き方への移行期に生きていたことと、実は近い。ベートーヴェンの作風が初期、中期、後期で、大きく変容をとげていくように、片岡祐介の音楽も、変貌をとげていく。彼が今後どのような活動を展開していくかにも興味があるが、と同時に、そうした活動の展開によって、彼の音楽がどのように変わっていくのかにも、非常に注目だと思う。彼の活動や音楽が、これまで少なからず野村の活動や音楽に影響を与えてきたように、今後の彼の展開も、野村に影響を与えるだろう。1月1日にこの日記で今年の抱負は「脱皮」と書いたが、今、まさに脱皮のチャンスが来ているように思う。

 

片岡さんが「野村さんは、現代では少なくなってきている書き譜の作曲家だ」と言った。確かに、ぼくは即興もするし、楽譜のない音楽もするのだが、五線のスコアを書くという西洋の旧来の方法も全く捨てていない。6年前に日本センチュリー交響楽団のコミュニティ・プログラム・ディレクターになる前は、「瓦の音楽」だったり、「しょうぎ作曲」だったり、「老人ホームREMIX」だったり、五線譜を使わない作曲がかなり多かったのだが、6年前にオーケストラと関わり始めて、せっかく楽譜を読むのが得意な人がいるのだからと、五線譜の作品を量産するようになった。「書き譜の作曲家」であるので、これからもどんどん譜面を書いていきたいし、譜面を通して人と関わっていきたいので、ネット上でも譜面を公開したり購入したりできるようにし、もう少し自分の譜面を外に開いていくことをしたい。片岡さんは、野村誠の12曲から成る「日本民謡集」(2011-2018)を、5月10日にオンラインコンサートをしてくれることになった。嬉しい。

 

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「書き譜の作曲家」なのだが、昔は、譜面はちゃんと完成していないといけないとか、曖昧なところがあっちゃいけないとか、普通の作曲家がイメージしそうな作曲みたいにしないとしけないのかな、と少しは気にしていたと思う。最近は、そういうことを気にしなくなった。同じ曲の譜面で、どこかを修正して変えたりしても、こっちのバージョンもあり、そっちのバージョンもあり。終わり方がちゃんと書いていなくても、演奏家が適当に判断するのもあり。そもそも、それくらいに融通がきく演奏家を想定している、とか、はっきりそう思って譜面を書くようになった。ハイドンの譜面の分析とかやって、余計にそう思うようになった。現場で音を出すための設計図としての楽譜は、あくまで叩き台で、完成された作品だなんて、思っていない。演奏する際に、現場の状況に応じて、ちょっとアレンジしたり、ちょっと変更したいと思ったら、変更できる融通のきくものとして、「書き譜の作曲家」をしている。片岡さんとか潤さんとか、さらにはセンチュリー響で出会った音楽家たちとのやりとりとは、そういうこと。作曲家は神様じゃない。譜面を演奏しつつ、そこに踏み込んで解釈してみたかったら、どうぞどうぞ、なのだ。

 

指揮者や作曲家が神のように芸術作品を支配する時代に、ぼくらは生きていない。でも、指揮者や作曲家が単なるお人好しの毒のないファシリテーターでも、何も面白くない。ぼくにはエゴがある。毒もある。でも、支配者として君臨して他者を隷属させたいわけではない。そうではなく、有機的に音楽を作りたいという欲がある。だから、毒を持ってコントロールしようとしてもコントロールできないスリリングな関係で、音楽をつくっていきたい。それは、相手が片岡祐介でも、障害児でも、動物でも、ピアノでも、同じ気持ちである。

 

などなど、長い文章を書く。つくづく、世の中がSNSで140文字内に凝縮するコミュニケーション法を追求している時代に、ぼくは全然適応しないなぁ、と思う。こんな時代に、五線のスコアを書き、ブログを書く。このまま頑固に年をとっていけば、いずれ天然記念物のような古風な存在になるだろうか。それとも脱皮によって、変貌するのだろうか?

 

相撲と音楽に関するリサーチを続けている。今日は、シバテンという高知県にいる相撲をとる妖怪のことを調べていた。そして、「しばてん踊り」という民謡が、武政栄策(1907-1982)作詞/作曲であることにいきあたる。この武政栄策という作曲家は、「よさこい鳴子踊り」を創作した人物でもあり、のちの「よさこいソーラン」につながる「よさこい鳴子踊り」は、1954年に徳島の阿波踊りに対抗すべく高知商工会議所青年団が企画した「よさこい祭り」の時に発明されたものだった。阿波踊りに対抗するためにでっち上げたのかぁ。経緯が面白い。

 

そして、平安時代の宮廷の儀式「相撲節会」について整理しようと、飯田道夫著の「相撲節会」(人文書院)を久しぶりに引っ張り出し、音楽と関連のありそうな箇所を書き出したりしていた。本当に、新型コロナウイルスでステイホームでなかったら、後回しになっていた研究に思う存分取り組んでいて、すっかり没頭している。そして、

 

九番相撲後。有勅奏楽。種々雑伎。散楽。透幢。咒擲。弄玉之戯。皆如相撲節儀。

 (日本紀略

 

の部分を写している時に、パソコンが難しい字を変換してくれないので、その前後の文章を入力して、検索したら、とんでもないページに行き当たった。

 

http://tsubotaa.la.coocan.jp/chrono/chrono.html

 

相撲の歴史的な文献が全部まとめてある。なんじゃこりゃ!そして、読んで驚いた。

 

そこまで、ほぼ毎年7月7日に相撲節会を行なっているのに、823年の5月6日に、疫病のために相撲の中止を決定している。約2ヶ月前に決定。1017年7月12日に、相撲をやるかやらないか未定。17日に疫病で中止決定。これって、今と似た状況じゃないか!

 

淳和天皇弘仁十四年五月己未。今年諸国疫気流行。百姓窮弊。仍停止貢相撲人。 (類聚国史巻七十三) (823年5月6日)

 

 

さらには、年によって、音楽なしで相撲を開催したり、音楽ありで開催したりしている。その時に演奏した雅楽の曲目まであがっているし、さらには、猿楽なども演目にあがっていたりする。興奮して、読みまくる。相撲に使われた雅楽の曲も、全部調べて、それぞれの曲をこの機会に研究してみようと思った。うわぁーー、宿題いっぱいだ。このままだと、コロナが落ち着くまでに、全然やり終えられない。

 

「アフリカ音楽の正体」読了。本当に読みやすく面白い本。トーキングドラムの謎とか、ハーモニーやリズムの謎などを面白く解説。おすすめ。「百年の孤独」も読了。美しい文章とめまぐるしい時間と変化を満喫。相変わらずポーランドのラジオ聞いてます。

 

「地域アートはどこにある?」の感想は、また、明日以降に書きます。