野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「地域アートはどこにある?」

「相撲と音楽」に関する本を執筆すべく、これまでの資料などを整理中。狂言における相撲の資料を整理。以前、狂言師松本薫さんに教わった「唐相撲」の中のオノマトペの歌

 

ヒルトルマンギャン アユタラステンピー

ジイリペンピン ウリハヤウリヤト ボカンビンパー

ワンスイ ワンスイ チンプルポー

ワンスイ ワンスイ チンプルポー

ステレケパー

ビイサラオッペンボウ

 

は、近々、DVDを見直して、歌詞を全て書き起こしてみたい。

 

狂言の相撲物では、

 

イーヤァー ヤットナ

ヤットナ ヤットナ

おおてーーー

 

と言って相撲をとる。なぜ、「ヤットナ」なのか?「ヤットナ」とは何なのだろう?例えば、「鼻取相撲」の以下の動画の43分30秒あたりに3度目の取り組みがある。

 

https://www.youtube.com/watch?v=dOjLB2foFtY

 

蚊相撲」は、蚊の精と大名が相撲をとる。蚊相撲の動画をYouTubeで検索したら、茂山千五郎家が非接触狂言配信「YouTubeで逢いましょう」をあげていた。非接触型でも、マスクしないと、つばは飛ぶだろうと思いつつ、どの業界も色々試行錯誤してきているのだろうと思う。以下の動画の45分30秒あたりからが、蚊の精と大名の相撲。49分あたりからが、2度目の取り組み。

 

www.youtube.com

さて、本日も四股を1000回踏んだ。オンラインで四股を踏む仲間も増え、今日は8人で四股を踏んだ。これによって自分の体は変わっていくだろうか?体が変わることで、演奏が変わるだろうか?

 

本日も「ホルスト盆栽」の作曲を8小節だけ書き加える。毎日、少しずつ成長していく植物のように、曲が成長するのを見るのもいい。そして、庭の植物も順調に成長している。

 

「地域アートはどこにある?」(堀之内出版)を冒頭から57ページまでを読む。まず、本全体の構成から紹介したい。まず、この本を見て、非常に面白い構造を持っていることに気づいた。敢えて簡略化すると、以下のような構造になっている。

 

プロローグ  (1-15頁)

1 展覧会(16-57頁)

2 トーク(58ー181頁)

3 小説(182ー225頁)

エピローグ(226-240頁)

 

そして、意図したのかどうかわからないが、ページ数が

 

プロローグ 15ページ

1 展覧会 42ページ

2 トーク 124ページ

3 小説  44ページ

エピローグ 15ページ

 

となっていて、ほぼシンメトリーになっている。真ん中に来るトークのページが圧倒的に多いことがわかる。そして、展覧会に関する第1部と小説である第3部がほぼ同じページ数がある。こうした構造を味わって、本の中を空間的、時間的に旅することが可能な構成だ、と思う。

 

十和田市現代美術館で実際に行われた展覧会「ウソから出た、まこと」という具体的な実践に関わる第1部。様々なゲスト、市民、美術館スタッフの様々な組み合わせによるクロストークが次々に登場する第2部。そして、美術作家の藤浩志の大学生/大学院生時代の思考を追体験する小説が第3部となっている。具体的に行われた展示、作られた作品、起こった出来事は、それを生み出す過程で考えた思考と対になっている。この実践と思考をどのように連関させるのかを、この3部形式で模索したのではないか、と考える。

 

プロローグは、美術館の館長、美術館企画チームの意思表示。小池一子の「オルタナティブな方向への希求」という巻頭文は、総称されたり一括りにまとめられることに抗い、別の道を切り開いていくのだ、と語りかけてくるように思う。美術館企画チーム(里村真理/見留さやか/ミヤタユキ)の文章も、社会の同調圧力、自主規制、権威などへの警鐘を鳴らしつつ、地域とアートの試みには、それらを無効化する混沌を生み出せるとみる。このプロローグを、ぼくは、「ゲリラを実行せよ」と勝手に読みかえてみた。美術の王道を歩むのか、別の道を模索するのか。「オルタナティブ」が既に既存の枠組みになっているのであれば、そうではないさらなるゲリラをせよ、と。「美術」が既存の概念ならば、その分野を超えたゲリラをせよ、と。「地域アート」なる潮流が仮にあるとするならば、そのような枠にはまるのではない自らのゲリラを展開せよ、と。では、いよいよ本文に入る。本文では、様々なゲリラ戦を展開するアーティスト、アート関係者、市民ボランティアなどなどのゲリラ戦の実際と思考が語られることであろう。それを本という体裁の中に落とし込むとゲリラでなくなるかもしれないが、でも、なんとかゲリラであろうとして本にしたのだろう。社会の枠にはまるのではない。美術の枠にはまるのでない。本の枠にはまるのでない。ゲリラを実行せよ。本書のプロローグの15ページから、ぼくは、まずそのメッセージを読んだ。だから、続きを読む。16ページ目以降の展覧会に関するページについては、明日の日記に投稿予定(以下の5月12日の日記を参照ください)。

 

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