野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

東日本大震災から9年

2011年3月11日の東日本大震災から9年。この9年間は、(少なくともぼくにとっては)激動の9年だった。9年前に書いた日記を読み返す。今の自分たちに向けて書かれている言葉のようにも思う。

 

まずは、インドネシアで情報を集めながら、皆さんの無事を祈っております。

今、思っていることを、ざっと書こうと思います。

皆さん、不安も大きく、色々情報も飛び交っていると思いますが、まず、休める環境を協力し合って、作れるように、祈っています。誰かとつながれるように、孤立しないように。協力できるように。

近くからも、遠くからも、可能な範囲内で助けられること、できることをしていけたら、と思います。今、ぼくはインドネシアにいるので、近くに行って、助けることができません。だから、遠くから考えて、何ができるか、どういうことが可能か、を書いてみます。

ボランティアでの援助/救助活動、協力、色んなことを、迅速に的確に、どうやって起こしていくか。国や自治体にも役目があるけど、市民レベルで動けることが、いっぱいあるはずです。日本中で、ここ10年間くらいやって来たアートとコミュニティのプロジェクトは、こういう時のために、準備してきた訓練でもあったはずです。真価を見せれるだけの練習を、今までやってきたはずです。

助け合うこと、協力し合うこと。見知らぬ人でも話かけて、お互いの安否を確認し喜ぶこと。

あと、地球を怒らせないように、ぼくらで、地球にもう一度、挨拶しようと思います。ちょっと、人間が地球に対して、酷いことをし過ぎているので、地球が本気で人間に怒っているかもしれない、と思うのです。一人一人の声を、地球に伝えるしかない。個人レベルでのエコロジーなど、60億分の1かもしれないけど、60億分の1を集めて、地球に伝えていかねば、と思います。

こういう時だからこそ、友人と連絡をとり、助け合っていきましょう。

 

あ、そうだった。地球にもう一度挨拶をするための方法を探って、その一つが相撲とシコだった。震災の直後、即興をすると必ず(気がつくと)四股を踏んでいた。

 

里村さんと打ち合わせ。「徹夜の音楽会2」と野村のウェブサイトのことなど。いろいろな人のウェブサイトを参考に見てみて、ぼくの世代やそれより上の人たちの多くが、ウェブサイトが古かったり、デザインがイマイチで、若いアーティストのページを見ると、参考になること多かった。

 

ネット通信で、自宅にいながら、「千住だじゃれ音楽祭」に関して、東京の方々と会議。新型コロナウイルスで予測不能な状況の話もした。そこで、再確認できたのは、我々「だじゃれ音楽」が築いてきた即興性や柔軟性の力と可能性のことだ。今、突然、予測不能な事態になっていて、計画通りに物事が進められない。それは、ストレスでもある。でも、ぼくたちは、計画通りに楽譜通りの音楽や台本通りの進行をしてきたわけではなく、常に、即興と変更をこよなく愛して活動してきた。先が見えないことは不安でもあるが、先が見えないことで創造力に蓋をされることはない。予測不可能だからこそ、我々の即興力、判断力、柔軟性を発揮できる場があるはずだ。今までの経験を活かせるはずだ。ピンチはピンチではなく、チャンスであるはずだ。そんなことを、言葉に出して話せたのは、とてもよかった。

 

それから、2014年の時に「千住の1010人」の開催の2ヶ月ほど前に、命を落とした仲間のことも思い出した。今日は、彼のためにも祈りたい。津波や震災の被害者の鎮魂であるだけでなく、あらゆる魂の鎮魂のために祈りたい。DVの被害者の鎮魂のために書いた「インテルメッツォ」も、意識の根っこの根っこを掘り下げて作曲した。祈ろう。心を込めて演奏しよう。