野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

いっぱい眠ったことと、パンフレットの文章。

久しぶりの休日。

今日は、たくさん眠った。

眠るといえば、昔、碧水ホールでのコンサートのプログラムのために、島袋くんが書いてくれた文章も、寝ることについて。ちょっと、当時のパンフレットの文章を転載して、読み直してみよう。2003年のコンサート。

 

http://www.jungle.or.jp/sazanami/gamelan/siryou/nomura03.htm

 

ちくわ、がんばれ!
島袋道浩(美術家 、野村誠友人)


  ちくわ、がんばれ!雨どい、がんばれ!ピアノに負けるな!勝たんでええけど、とり あえず負けるな! 野村誠の音楽は実は戦いの音楽である。
 
 と書いて、今日、演奏会が終わったら納得してもらえると思うのだけど、ちょっと飛 ばしすぎたみたい。今度はゆっくり始めます。新しいタイトルから。

20代、野村くんの家によく泊まって

  今はどうなのか分らないけれど、20代の野村くんは本当によく寝ていた。いつも昼まで。時には夕方まで。いつ作曲、仕事をするの?と思うぐらい。そのことをからかうと野村くんは口をとがらせて「寝るのはすっごく大切。寝てる間に夢を見たり。考えたり。」と確信に満ちている。
  実際、いつも寝ていてもいつの間にか作曲ができていたり、起きて文章をダーッと書きあげたりしていたから、本当に寝ている間にいろんな仕事をしていたんだろうなと思う。
 そんな野村くんを見ていると三年寝太郎のことを思い出すけれど、すごいのは野村くんの中には三年寝太郎を寝かせたままにしておけるあのお母さんも同居していること。 誰になんと言われようと、確信を持って自分を寝かせ続けられる。お昼頃、電話が鳴っても「あとでかけなおしてもらえますか?」いたってマイペースで再び眠りに戻る。

 野村くんのすごいのはこの自分のやり方を信じ、続けられるところ。人は人よりかなり得意なことをみつけると、それを続けますます磨こうとするのに、 野村くんは平気で得意なことを続けないし。
 ピアノが得意なのに、平気でピアノを置いて鍵盤ハーモニカに何ヶ月も没頭しだしたり。普通の楽器すらおいてちくわを吹きだしたりする。雨どいを楽器に使いはじめたりする。音楽すらしばらく置いて、将棋に没頭したり、キャッチボールに熱中したり、 絵を描き出したり。
 上手にできるそこそこ予想ができることよりも、上手くできないからこそあふれている未知のおもしろさと可能性の方を選ぶ。自分自身がよ

そして続けているうちに、いつの間にか将棋や鍵盤ハーモニカやちくわなんかを自分の音楽になくてはならないものにしてしまう。実はどんなものでも自分の音楽につな がると知っている。
 ここでは水は出ない、とみんなが思っている場所を迷わず掘り続け水を出してしまう、 野村くんは音楽の井戸掘り名人みたいなところがあると思う。

 そして野村くんがいろんな所を掘らなくてはならないのには理由があって、世間の人 達はここの井戸の水が一番うまい!とすぐに決めてしまいがち。すべての音楽を五線譜に置き換えたり、ヨーロッパがなんたって一番主義になったり。それで野村くんはこっちにもおもしろいものがあるよ、こっちにもこんなやり方があるよ、とかけずり回らなくてはならなくなる。
  野村くんの活動はちくわよりピアノが偉いと思われている世界の中で、「いや、ちく わもピアノと対等だよ!」という、実はちくわ解放の戦いなのだと思う。それが一見戦いに見えないところがまた野村くんのすごさ。
 ただ壊したり、否定したりするだけでは本当にはなんにも変わらないと野村くんは思っ ている。今まであったものは壊さず置いておきながら、新しい何かを笑いとともに提出する。五線譜もいいけどマンガ入りの紙切れでもいいでしょ、という風に。いろんなものがあって選べた方が豊かだし、笑顔がなければ何も変わらない。大切なのはパロディーではなくユーモアだよね、野村くん!
 今日はちくわは吹くのかな?雨どいは演奏するかな?
 野村くんの演奏会に行くと僕は笑えて泣ける、いい映画を見た時の感じになる。
 野村くんがピアノを弾きはじめる。優しい音が終盤、だんだん激しくなってきて、野村くんの腕が4本、そして6本に見えるようになる。野村くんの頭の中の音と現実の 音がすごい早さで追いかけっこをしているように見える。よく見ると野村くんは苦しそうに何か叫んでいる。「負けるな!」僕も心の中で叫びながら応援しているよ。