野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

This is a transition agreement!

イギリスがEU離脱の日。

ヒュー・ナンキヴェルが4年間続けてきた実験的なコミュニティ合唱団Choral Engineersの最後のコンサートの日。

そして、ヒューのEU離脱3部作の第3作の世界初演の日。

この作品は、ロンドンのcafe OTOのような即興や実験音楽の盛んな会場で初演されるのでもなく、ハダスフィールド現代音楽祭のようなフェスティバルで初演されるわけでもなく、Lucky 7 Clubというペイントン(人口5万人の海辺の小さな町)のバーレスククラブで行われた。

今から50年前に、作曲家のコーネリアス・カーデューがロンドンでスクラッチ・オーケストラを結成した。非専門家がつくる音楽の実験。カーデューは、その後、共産主義思想に基づくプロテストソングを発表するようになる。

ヒューは、カーデューの様々な手法を受け継ぎながら、しかし、決してプロテストソングをつくらない。彼の歌は、何が正しいか、何が間違っているか、を語らない。そこで起こっていることを、歌う。老人ホームで出会った小さな物語を歌にする。小さな町で起こった何気ない出来事を記述する。正義を訴えるプロテストソングは、同じ思想の人の共感を生み、異なる思想の人を排除する。ヒューの歌は、違う思想の人が共存できる方法を模索する。人々に考えるための疑問を投げかける。彼は答えない。

This is a transition agreement.(これが、移行への合意書だ)という歌詞を歌う。それは、EU離脱への移行への合意書ともとれるし、合唱団が解散する移行への合意書ともとれる。そして、最後に、合唱団のメンバーに秘密で作っていた本を、ステージ上のメンバー一人一人に、授与する儀式が行われた。

「デイビッド、移行への合意書を受け取りに、前に来てください。メアリー、移行への合意書を、、、」

一人一人に、合唱団の4年間の歴史をまとめたり、つくった歌のいくつの楽譜が載っている冊子だ。

ヒューは「我々は、この合唱団が今日で終わりになるが、でも、続けられる方法を探ってきたし、今後また何かで活動できることを祈っている。この冊子は、そのための移行への合意書です。今から移行への合意書を渡すセレモニーをします。」

既に第1部が終わった時点で9時をまわっていただろう。休憩時間で100人の人々の長蛇の列のドリンクの販売が終わるだけで、30分以上かかっただろう。人々はビールを飲みながら、いつまでも話している。

コンサートの第2部は、きわめてカジュアルだった。一曲目のあいさつの歌は、百人の観客に25人の合唱団のメンバーが握手をしに行く歌だ。この4年間に歌ったオリジナルソングの厳選10曲。第2部が終わり、コーラル・エンジニアズの活動が終了した。23時だ。ここで、ヒューの25歳の息子フランクがDJをし、ダンスの時間が始まる。

驚いたことに、楽器の搬出もしないで、ヒューはずっと踊っていた。オクスフォード大学音楽心理学教授のエリックは、朝からリハーサルでヴァイオリンを弾き続けてきたのに、そして、60代という年齢を感じさせずに、踊り続けている。

人々は少しずつ帰っていくが、ぼくらは深夜1時まで2時間踊り続けた。きっと、今日はとことん踊りたかったのだろう。50代、60代の人々が多かったと思うが、かつて20代だった時のように踊り続けた。自分の体力のことなど、誰も気にせず踊っている。

深夜一時に搬出作業を始めた。

この夜を彼らと一緒に過ごせてよかった。貴重な体験をさせてもらった。