野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

デモントフォート大学でのレクチャー

レスターのジョン・リチャーズ宅に滞在中。朝、ジョンが先週、ジョギング中に転倒した関係で、救急病院での診察があるので、病院に立ち寄って後、デモントフォート大学へ。ちなみに、Accidents & Emergenciesというらしく、23年前、ロンドンのドラマーのチャールズ・ヘイワード(ディスヒートという伝説のバンドで知られる)がこのタイトルでのイベントをした時に、出演したことを思い出す。

11時ー13時が、野村のレクチャー。3年生向けのコミュニティアートの授業で、この授業をとっている学生以外に、大学院生や教授陣が聞きにくる。ぼくのレクチャーは、「鍵盤ハーモニカ・イントロダクション」から始まり、安い楽器で、音が不安定な楽器だからこそ、可能になる様々な表現があることを説明する。それは、人間についてもそうで、能力がないと思って見ると、能力がないことになるが、見方を変えると違った能力があることになる。

次に、日本センチュリー交響楽団とのプログラムについて、2ヶ月前の発表映像を見せる。解体コンサートは、どこでも好評。オーケストラの経営状態に、こうしたプログラムをすることで、どのような変化があったのか、ということの質問もある。コミュニティプログラムを経て、現在、豊中のホール運営も始めたことを説明すると、交響楽団の仕事のあり方が変化していて、これまでオーケストラの仕事と思われていなかったことが仕事になり得る。そうした視点の重要性についての議論になる。

香港での3ヶ月のレジデンスについても詳しく話す。この事例に関しては、かなり興味を持ってもらえた。最後に、スタッフトレーニングもしたこと。1000人も住む特殊な環境であったこと。様々な利用者とのセッションをしたこと。など、かなり特殊なケースなので、これに関して、何か文章を書くべきだ、と音楽テクノロジーイノベーションセンター所長のリー・ランディーが言う。障害と能力について、語る。認知症の人に広東語を教えてもらい歌を作った話。認知症の人は忘れるのが得意だから、同じフレーズを何度も喜んで教えてくれる。認知症という障害は、反復できる能力と置き換えることができる。

音と教育という観点から、番組「あいのて」の話にもなった。リーやジョンは、キプロスとの共同プロジェクトをしていて、キプロス政府が、世界で初めて、音を根幹に据えた音楽教育カリキュラムを開始することになった、との話。「あいのて」も、素材の音に特化した番組で、メロディー、リズム、ハーモニーなどを根幹にした音楽教育とは全く違うアプローチ。また、24年前に、ヨークに滞在して、イギリスの創造的音楽教育の現場で、様々な共同作曲の探求をした話もする。アメリカ人でオランダに住んでいたリーがイギリスに来たのも、実は同じ理由だったことがわかる。それだけ、イギリスの教育現場は、創造性に特化していた。その先端を担っていたのが、ぼくをヨーク大学に受け容れてくれたジョン・ペインターで、彼の70年代の名著は「音と沈黙」というタイトルで、音楽教育の本のタイトルとしては、画期的だった。ちなみに、この本の日本語訳の邦題は、「音楽の語るもの」という題名になっているが、英語では、Sound and Silenceで、音楽というものを、音と沈黙で構成されるものだ、という考えは、保守的な音楽教育の世界では、画期的だった。

2004年のアイコンギャラリーでの「ペットとの音楽」の動画も見せた。また、横浜の動物園で作品制作をした話などもした。出会う人(動物)の反応によって、予測不能なので、柔軟に対応することの重要性と、それらを映像など記録に残すことなども話す。

「世界のしょうない音楽祭」の映像で、シタールや邦楽と西洋楽器とアマチュアの人で、あんな音楽が形成されることに、驚きを示すのは、サウンドアーティストとしても活躍する大学教授陣だった。学部の学生は、新しいことが多すぎて、ポカンとしている人もいた。

本当は、「千住の1010人」や「うたう図書館」や「JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)」の話もしたかったが、ここで時間切れ。

リーとジョンと、ベジタリアンのインド料理ビュッフェでたらふく食べて語り合って後、ジョンの研究室で少しくつろぐ。その後、イタリアからの留学生ダビデと明日のレコーディングの打ち合わせの後、喉を潤しにパブへ。パブで語り合って後、学生たちのコンサート。これが、100年前の無声映画に音をつけるコンサートで、Georges MeliesやMan Rayの歴史的映像を見られるだけで面白いし、これに100年前には存在しなかったラップトップやエレキギターなどで、音がつく、1世紀を越えたコラボレーションが面白い。10月に入学したばかりの新入生全員と、2年生のほとんどが出演で、100人以上の出演者で、ほとんどがエレクトロニクスなので、ケーブルの数が凄い。途中の転換が30分近くかかるというので、本日2度目のパブで、ジョンと食べながら語り合う。戻って、コンサートの続きを見て後、本日3度目のパブ。すると、次々に、片付けの終わった大学教員たちがパブに集まってくる。ここから、今日のコンサートの話から始まり、色んな雑談が延々と続く。野村の「ズーラシアの音楽」の話になり、ジョンが「ぼくは、ホッキョクグマが好きだ」と言う。ちゃんと見ててくれている。ニールは、「ブタとの音楽」が好きだと言う。いつ見せたっけ?彼は6年前のロンドンのヘイワードギャラリーでの野村の「しょうぎ作曲」ワークショップにも参加している野村ファンなので、かなり詳しい。しかし、ホッキョクグマのマークのついたミントのお菓子のパッケージの話に移行したり、「あいのて」にインスピレーションを得て、ケーブルのジャックとワニのようなつまみから、架空のジャック・クロコダイルという番組を考え出し、しばらく、その話で盛り上がり、そんな番組をBBCが作ったら面白いのにね、と大笑いしたかと思ったら、次の瞬間には、BBCの報道が如何に政治的に操作されているか、右傾化していないか、それに関して、こうした研究もある、など、シリアスな話に瞬時に移行する。そのスライドの仕方がいつもスリリングで、パブの雑談は面白い。家に帰り着くと深夜24時。ジョンは、明日は、政府の視察に備えた会議がある。大学での研究が社会にどんなインパクトを与えたのか、大学での研究が、どのように社会に貢献しているのか、などをプレゼンしなければいけない。そんな話の後、就寝。明日は、いよいよレスターの最終日で、レコーディングだ。