野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アートスペース虹の最後の日

田原での「うたう図書館」を終えて、京都に戻って参りました。本日は、アートスペース虹の最後の日です。36年間続けて来られた画廊がクローズするので、多くの方が集っていました。

造形作家の星野高志郎さんが、「野村くん、君は、今日は何かしないのか?ぼくは、4穴のハーモニカを持ってきた」と言ってセッションを促されたので、近くにおられた鈴木昭男さんと宮北裕美さんを道連れにしての4人のセッション。宮北さんは椅子の上でダンス。昭男さんは、パーティー会場にあった包丁を楽器として、鳴らす。ぼくは、鍵ハモにワインボトルを押し付けての演奏から、途中で、鍵ハモ+ワインオープナーでの演奏。ワインオープナーで和音を弾くのは、なかなかコントロールが難しかった。虹の最後の日なので、色々な思い入れもありましたが、なんだか、こういう不思議な即興になったのは、よかった。

藤島寛さん、藤島啓子さんとも久しぶりに再会。元ギャラリーそわかの鎌田高美さん、美術ライターの山下里加さん、サウンドアートのニシジマアツシくん、吹田哲二郎さん、美術家の高嶺格くん、やなぎみわさん、静岡市美の以倉新くんなど、30年前の学生時代からの知り合いが30歳年をとって、相変わらずそこにいる。星野先生が鈴木昭男さんに向かって、「あんた、全然変わらないじゃないか。おかしい。」と言ったりしながら、今日で虹が終わるなどと信じられないまま語り合う。

20代の頃、友人たちは、ぼくのことを「野村くん」と呼ぶか「ノム」と呼ぶかのどちらかだった。最近は、「野村さん」と呼ばれることが圧倒的に多くなった。今日は、ほとんどの人が「野村くん」と呼ぶ人だったので、余計に30年前にタイムスリップしたようだった。

少しだけ、アートスペース虹の思い出話をさせていただけば、初めて訪れたのは、おそらく1987年。井部治さんがラモンテヤングに関するトークをした時だった。現代美術の画廊で、ミニマル音楽のレクチャー。やなぎみわのエレベーターガールを見たのも25年ほど前に、虹だった。ベティー・フリーマンとアメリ実験音楽の展覧会も、ここで見た。もちろん、ロルフ・ユリウスのサウンド・アートもここで見た。京都市芸大の学生だった多くの友人たちの作品も、虹で見た。そして、作品を鑑賞した後、当時は道の真ん中を走っていた京津線の電車の音が時々聞こえながら、熊谷さんと作家さんとお茶を飲みながら、語り合う。なんて貴重な体験をさせていただいたのだろう、と思う。pou-fouのCDが出た後は、虹で販売して下さった。現代美術の世界の人に紹介したい、と繋いで下さった。つい最近になって、個展をしないか、という無茶ぶりもいただき、人生で最初で最後になるかもしれない個展をした。熊谷さんは、いつも笑顔で、しかし、核心をついたコメントをされる。それを聞くのが、何より好きだった。

結局、4時半頃に行って、気がついたら9時過ぎまで滞在し、色んな人と語り合っていた。ああ、また、一つの時代の幕が閉じ、新しい時代が始まろうとしているのだなぁ、と寂しい気持ちになって、どしゃぶりの雨の中、自転車で家に帰った。自転車を置いて、タクシーで帰ったりもできたけれども、敢えて、濡れて帰りたかった。終わることの悲しさで目一杯泣いているかのような雨を全身に浴びて家に帰り、熱いお風呂に入った。メリークリスマス。