野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

JDと再会

バンコクでのフェスティバルも終わり、いよいよ明日には出国。今日は、作曲家のジャン=ダヴィ(JD)と久しぶり(2年ぶり)に再会。ランチをしながら、語り合いました。JDとは、10年前にエディンバラで会って以来の友人ですが、その後、バンコクに移住し、シラパコーン大学で教えていましたが、今は、Princess Galyani Vadhana音楽院の先生をしている。

久しぶりに会っても、相変わらず、彼は面白い。フェンダーローズの電気ピアノの中古の物を見つけて、解体して、中からホコリと虫と様々な物を取り除き、部品を取り替えながら、ちゃんと楽器として復活させるのが、楽しいんだ、と笑顔で語る。鍵盤をあとではめようとして、全部の鍵盤が微妙にサイズが違ってたりして、いきなりジグソーパズルみたいになっているんだよ、とJDは笑う。明日からマレーシアから交換留学生が来るから面倒を見てくれ、と今朝、アノタイ(作曲家)から言われた。アノタイからは、いつだって、突然、話がやってくる。ここの生活は、いつもそうだよ、と言う。でも、今の職場で、新しいエレクトロ・ミュージックのスタジオつくって、凄く面白くなっているんだ。それから、今年は、フィリピン、ミャンマーインドネシアなどの伝統音楽の巨匠のドキュメンタリー映像を撮影した。こうしたのをまとめて、ドキュメンタリー映画にしたい、とか、マレーシアでの現代音楽週間で作品を発表した、などなど。近況を聞くのは楽しい。日本センチュリー交響楽団とのコミュニティ・プログラムの話をすると、「うちの音楽院のオーケストラとコラボレートできたら面白いかも」とか、色々と語り合う。

と同時に、タイの政情の話題なども、色々。外国人に対して、現政権は、当りがきつい。毎週テレビで、現在が最も景気がいいとか、フェイクな「おとぎ話」を放送し続けて、現実を見ないようにしているから、未来につけがまわってくる。タイって、貧富の差が激しい国の世界3位なんだよ。自分のアプローチは、そうした問題に直接関わるというよりは、別なアプローチかもなぁ、と言う。そういうところに、直接関わると、結局、人殺ししなきゃいけなくなる、とJD。例えば、ぼくは、夢の中で、3度はトランプ大統領を殺しているからなぁ、と言う。いや、殺してはいないか。靴を脱がして、足の裏をくすぐったりしているから、死んではいない。でも、殺人するよりも、くすぐる方がよっぽどいい。フランス人の彼が、イギリスを経由して、タイに住んでいることで、色々見えていることがあり、考えていることがあり、しかし、それをユーモアや笑いを通して語ろうとする彼の背後にある、色々な感情が見え隠れする会話だった。

JDとバンコクを歩く。あの鳥の鳴き声、いいね、と言うと、あの鳥の鳴き声真似して、音域を変えるように誘導すると、真似してピッチは変わるんだけど、メロディーの形は変わらないんだ。転調するんだよ、とか。この通りは、楽器屋がいっぱいある、とか。こっちに行くと、エレクトロニクスの部品がいっぱいあるんだ、とか。楽しく案内してもらう。「授業行かなくていいの?遅刻じゃないの?」と言うと、「時には、先生が遅れてきた方が、準備不足な学生たちが考える時間ができて、いいんだ」と言って、結構、案内してくれて後、大学に出かけて行った。

JDに教えてもらった楽器店ストリートで、延々いろいろな楽器屋さんを見て後、竹でサックスを作っているサックス吹きと再会。二日前にアナンに紹介してもらって、また会うとは思わなかった。なんと、実は、彼の奥さんのお姉さんが、アナンの奥さんだと言う。ええっ、義理の兄弟!竹のサックスセッションを楽しみ、楽器も購入させていただきました。

夜は、タムさん、ソーさんとの夕食で、2週間の振り返り。1日目の公演で、どのように会場が変更になり、しかも予定していた音響会社のスタッフが来れなくなったか、などの説明を受けた。そして、今回のようなプロジェクトでは、楽器の演奏技術は、プロの音楽家や高校生の方が圧倒的に腕前が高く、小学生の方が楽器の初心者であることは確かなのだが、だからと言って、巧い人の音をマイクで増幅し、子どもの音をおまけの伴奏のように扱うのではなく、時には、初心者の音の方が重要になる瞬間もあること。社会の多様性の中で、マイノリティにフォーカスをあてることと、この音楽の中で、小さな表現にフォーカスをあてることの重要性を、いろいろ理解してもらい、だからこそ、サウンドチェックをしっかりやりたかった意図も理解してもらえました。そして、一つの料理の中に、辛さと甘さと酸っぱさと塩っぱさなどが混在するタイ料理の複雑さの美学と比較しながら、何も排除せずに共存させることについて、語り合いました。味が殺し合わないように、全ての味を活かすようにすることを、タイの人は料理でも、アートでも実践している。ぼくは、音楽では、それが自然にできるのですが、料理では、タイ料理のようなミックスは難しく、シンプルな和食志向になりがちです。しかし、話しているうちに、なんだか、自分が音楽でやっていることは、タイ料理と似ているかもしれないな、と思ったとき、なんだかタイ料理にもチャレンジしたいと、初めて思えました。それも、2週間以上、タイ料理を食べ続けたからかもしれません。大きな収穫でした。ありがとう。