野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

Sampreang Facestreet Festival閉幕

バンコクでのSampreang Facestreet Festivalも、今日が最終日。昨日、本番の会場が急遽変わったため、子どもの動き方などの確認に時間がとられてしまい、十分なサウンドチェックができなかった。かなり音響面で不完全な状態での本番を迎え、不本意なところが多かった。1週間前から、サウンドチェックの時間がしっかり必要と口を酸っぱく言ったにも関わらず、警察の急な通知で会場が変更になるというアクシデントのため、サウンドチェックができなかったことが、本当に残念でならない。と、おそらく、野村の顔に書いてあったのだろう。朝からソーさんが、サウンドチェックにどれだけ時間が必要か、とか、聞いてくる。何せ、通訳を介して、音の細かいことを現場で伝えていくのも、かなり困難な部分も多く、今朝は舞台監督に渡すための詳細すぎる進行表を作成。改善して欲しい点、演出上の意図、それぞれのシーンで、どの楽器がしっかり聞こえたいか、などを、克明に記す。日本人は細かいと思われるかもしれないけれども、こちらが大切に思っていることは、細かくても、全部、書いた。

サウンドチェックの時間を今日は、最大2時間とってくれた。ありがたい。昨日と違って、ピンマイクも昨日のマイクとは違い、ゼンハイザー社のマイクに変わっていた。これを昨日の本番に用意してくれていたらなぁ、と思うが、今日用意してくれただけでも、感謝。そして、昨日の反省点を全部解消できて、PAしているけれども、生で演奏している時の感覚を、子どもたちみんなが体感できるような音作りができて、本当に良いリハーサルができました。リハーサルを見ている人たちの喜び具合でも、手応えを感じた。

空き時間に、12月1日の「世界のしょうない音楽ワークショップ」の準備などを進める。実は、一昨日までは、空き時間に「かずえつこと 即興のための50のエテュード」を作曲するのが日課だったので、空き時間に何か一曲作ったり、考える癖がついてしまい、今日は、12月1日のワークショップの楽器の調弦の仕方や配置の仕方を考えました。

ということで、いよいよ、バンコクでの最後の本番。冒頭の挨拶を、ソーさんに訳してもらいながら、相撲の話も少しする。そのまま、鍵ハモソロのシーンに、ヨードさんたちの創作影絵がつく。その後、クメール音楽のKantrumが始まる。Sawという胡弓と、フィンガー・シンバル、太鼓。そこに、如雨露で稲に水をやる小芝居。一人目がチャーンさん、二人目がジーグデークの女の子、3人目がヨードさんで、ヨードさんは、稲に水をやるだけでなく、最後に野村に水をかけて、笑いをとる、という流れ。お客さんも、いい感じに笑ってくれて、そのまま、濡れた頭を整える動きから、自然に野村のアクションが始まり、子どもたちがそれに従って動く。この時に、子どもの顔を見ながら、野村が変顔をすると、子どもの表情が緩むので、色んな顔をして子どもたちを見る。そして、Kantrum音楽が速くなったら、みんなも楽器で加わる。ここで、ヨードさん、チャーンさんは、稲で笛をつくり、お客さんに配る。ぼくは、子どもたちの側にいって、色々動き回りながら演奏し、子どもの緊張をほぐしていく。みんなの顔に笑顔が出る。昨日ほど緊張していない。曲が終わり、稲の笛のコーナーが始まり、ヨードさん、チャーンさん、野村の3人で、稲の笛を吹く。ここは、あいのてさんのようなトリオ。そのまま、如雨露を叩いての演奏に移り、小学生の女の子が如雨露を叩きに前に出て来たりした後、チャーンさんが胡弓、野村が鍵ハモ、ヨードさんが三弦になり、演奏が続くと、お客さんも手拍子で盛り上がる。そのまま、次第にボディパーカッションにうつって、子どもたちもボディパーカッション、そして、声のアンサンブルになって、みんなが大声で叫ぶ、叫ぶ、昨日よりも元気いっぱい叫ぶ。そして、楽器で合奏した後、ボディパーカッションでフェイドアウトすると、4グループの小芝居音楽パフォーマンスが始まる。猿が橋の下をくぐり、象が橋の下をくぐり、最後に、ムエタイのシーンが来る。音楽にのって、お祈りをした後に、ファイトする。相撲も祈りであるが、ムエタイも祈りなのだ。今日は、何ラウンドも続いた。そして、10カウント「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」として、勝者が決まって拍手が出た後に、野村が「相撲甚句 数え歌」を歌い、1から10までの日本語の歌を歌って聞かせる。その後、「123、123、1234567」と日本語で言い、タイ語で「123、123、1234567」と言って、337拍子のアンサンブルが始まる。それに合わせて、野村が相撲のてっぽうの動きなどをして、後、四股を踏んで、曲が終わると、「1234」とタイ語で数えてからは、全員の大合奏。ソロを担当する人には、ヨードさん、チャーンさんのワイアレスマイクがそこに向かい、みんなの素敵なソロ演奏にもスポットがあたった後、いよいよコー君のケーン(タイの笙)の独奏が始まり、それに野村の鍵ハモが重なる。ルン君の三弦の演奏も加わり、ピンが人形を操作する。Kantrumの4人の女性ダンサーが踊り始め、子どもたちが、次々に輪に加わり、人形も加わり、輪踊りになる。ヨードさんがお客さんを呼び入れながら、さっきから飛び跳ねて、音楽に合わせて踊りまくっていた子どもたちも輪に加わる。束の間の盆踊り。輪踊りが続いて後、みんなはステージに戻り、渾身の楽器演奏をする。そして、いよいよ終わりが近づいて来た。曲の終わりの合図も、野村の四股だ。四股を踏んで、踏んで、踏んで、踏んで、数えきれないほどの四股を踏んで、そのつど、みんなで、ドン、ドン、と音を出して、終演。ヨードさんが、「コーップンクラップ」と感謝の挨拶、カーテンコール。大拍手。大観衆。ああ、終わってしまった、子どもたちとのコラボレーション。

その後、子どもたち一人一人から、感想を言ってもらう。みんな、楽しかったとか、マコトさんが来てくれて、良かったとか、音楽をみんなで楽しめて良かったとか、音楽は楽器だけじゃないんだとか、音楽を通して仲良くなれるんだとか、子どもたちなりに言葉を尽くして言ってくれた。

そして、突然、一人一人から、手書きのポストカード大の絵手紙をいただく。タイ語で書かれたメッセージと絵。みんな野村の似顔絵を書いてくれていて、一枚一枚渡されるのが、嬉しい。高校生は、どこで調べたのか、日本語を手書きで書いていた。きっと翻訳ソフトか何かで日本語翻訳して、それを見ながら、手書きで漢字やひらがなを書いてくれたんだ。嬉しいなぁ。ありがたいなぁ。

みんなと記念撮影。ちょっと野村が鍵ハモを吹くと、子どもたちは寄ってきて、楽器の演奏をじーっと見ていたけれど、ふと思いついたように、近くにあるテーブルを太鼓のように叩き始めた。もう、楽器が全部、車に積んでしまっている。でも、楽器じゃない楽器はどこにでもある。コー君は自分のケーンを肌身離さず持っているので、吹き始める。束の間のセッション。

ハイエースに乗り込む子どもたち。ぼくは、見送り。手を振る。今から帰ると、ジークデーク村に着くのは、深夜の2時は過ぎるのだろう。子どもたちは車の中で寝て、明日は学校に行くのだ。おうちに帰るまでが遠足です。みんな気をつけて帰ってね。

ホテルに戻る前に、フェスティバルをもう少しだけ楽しんでから、帰ろうと思って、歩いていると、エイさん一家と遭遇する。エイさんと会ったのは、11月12日の昼間。エイさんの家に寄った後、ぼくはジークデーク村に行った。ジークデークに別れを告げたら、エイさんと再会か。なんだか、時間を逆行しているような錯覚に陥る。エイさん一家と、喜劇を見る。音楽はタイのピパートで、ラナート(木琴)が活躍する。でも、ミャンマーのサインワインっぽい太鼓もある。ああ、そうか。このフェスティバルは、タイ全土から、色々なコミュニティアートが集まっている。ぼくはカンボジアの国境近くの村に滞在したけれども、きっと、ミャンマーの国境近くの村から来ているグループもあるのだ。そして、そこでは、タイとミャンマーと分かれているのではなく、地続きに繋がっていて、音楽も文化も全て繋がっているのだろう。だから、サインワインはミャンマーとか、っていうだけでなく、タイにもある。というか、タイというのは、現在の便宜上の国であるのだろう。ジークデークに滞在したことで、頭では分かっていたけれども、体感として、そういうことが感じられるようになった。そして、九州場所の千秋楽だった今日、我々のフェスティバルも幕を閉じた。