野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ザワザワを鎮める

選挙に行く前に作文をして、投票に行く。

これから投票に行ってきます。昨年、作曲家のチョー・グゥワンが、マレーシアの選挙について、嬉しそうに語ってくれました。マレーシアでは投票率が100%に近いこと、投票するためだけに、わざわざ海外から帰国する人がたくさんいることなどを得意気に語られました。海外から帰国してでも選挙に行かねばならぬほどに、マレーシアでは自由が抑圧されているという危機意識が強いのでしょう。日本も他人事ではないと危機感を強めているのは、どうもぼくだけではない。でも、マレーシアほど多数にもなっていないようです。

こんな国は、そろそろ諦めて、どこか別の国に移住するかを考えた方がいいのでは、と時々、思います。しかし、色々な国へ行けば行くほど、日本の風土や文化の豊かさは貴重であり、この国にビザなく住める日本国籍を所持していることを有り難く思ったりして、移住する気が今のところはありません。

しかし、ぼくが愛してやまない日本の風土や文化を、もっと大切にしたいと思うのに、そうしたことを選挙の争点として、なかなか意識することは少ない。「環境」という言葉で触れられるとしても、CO2が増えるの減るなど、数字の話だったりしますが、そうしたことが巡り巡って、何につながっていくのか、想像し考えシェアする場が少ないことには不満です。淡路島の津井の瓦屋根の美しさを大切にしようと思うことと、政党の公約がどう結びつくのか。なかなかパズルのようであります。

日本では、政治のことを「まつりごと」と言ったはずです。「まつり」ですから、祖先の霊だったり、大自然の精霊だったり、色々なことをまつり、鎮魂したりするのが、「まつりごと」だったのではないか、と思うのですが、なんだか選挙によって、政治によって、ザワザワ、ザワザワ、としていて、全然鎮まってくれません。

魂を鎮めるということを、東日本大震災以降、より強く考えるようになりました。そして、気がつくと、相撲に行き当たりました。四股を踏む、反閇、大地を踏みならし魂を鎮める。とにかく、最近は毎日四股を踏んでおります。政治家が「まつりごと」を行えないのならば、市民が「まつりごと」を行うしかないと思って、四股を踏んでいます。2011年3月、八百長の一件があり大阪場所が開催されなかったのが気になっています。大相撲を開催しなかったから東日本大震災が起こったと言うつもりはないですが、こうした災いを鎮める力を、相撲は持っているのではないか、と相撲の歴史を調べるに到りました。今は、日々、四股を踏み、大地を踏み、相撲について学んでいます。

先日の釜ヶ崎での「即興オペラ」のワークショップで、即興寸劇の中で、「清き一票を」という台詞がありました。「清き一票」という言葉、久しぶりに聞いたなぁ。もはや、一票は清くないことが大前提で、誰も言わなくなったのか、と思う。この「清き」は、クリーンな一票というだけでない気がしました。そうではなく、一票を投じるという行為を通して、自分の中や外にあるザワザワを、少しでも清らかに鎮める、という行為にしたい、と願いました。

ザワザワは、そう簡単に鎮められるものではないでしょう。でも、ザワザワを少しでも鎮め、次なる災いを未然に防げるように願います。政治家の勝手に巻き込まれて、寒い日に投票に行かねばならないのは、腹立たしいですが、投票に行かないで静観するのは、もっと腹立たしいので、未来に向かって、新たな気持ちで再出発できるために、自分なりに最大限の気持ちを込めて、清き一票を投じて来ようと思います。

投票後は畑に行き、里芋やウコンを収穫し、大根とホウレンソウと青梗菜を間引いて、収穫。白菜は順調に成長中です。

帰って後は、延々と妻と部屋を片づけていました。選挙速報などは一切見ずに、ただただ、家を片づける。家の中にあるゴチャゴチャした場所を整えていると、厄払いをしている気分になりました。存在を忘れていた本を目にしたり、勇気を持って廃棄にしたり。政治家たちが、選挙結果でザワザワしている時だからこそ、自分たちの住まいを整える。すまい⇒素舞⇒相撲。すまいを正す。深夜まで、片づけ続けていました。

ザワザワを鎮めるのが、レクイエムなのでしょう。「DVがなくなる日のためのインテルメッツォ」に耳を傾ける。