野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ディディエとの対話 

野村誠作曲『千住の1010人』の楽譜が、以下のサイトで公開になりました。演奏に参加できる人も、できない人も、まずは、ダウンロードしてみて下さい。

http://aaasenju.wix.com/senjuno1010nin#!recruit/cnnz

ディディエ・ガラスと「ことばのはじまり」の稽古が続いております。今日は、稽古の前にディディエとお茶をして、作品について語り合いました。稽古中は、作品の背後にある思想にまで話し合う時間が十分にとれないために、一昨日にメールでディディエに数々の質問をしまして、それに昨日メールで返事をいただきました。そして、最新版のシナリオをメールで受け取りまして、フランス語の辞書を引っ張り出して、チェックしておりました。すると、演出助手の朋さんからも日本語版の最新版のシナリオがメールで来ました。これを両方読むのが、本当に面白いのです。進行台本としては同じなのですが、フランス語版には、ディディエが書き足した思いのようなことが、言語化されていて、色々ヒントになるのです。ということで、稽古の前に、ディディエと1時間強、語り合いました。おかげで、ディディエの考えをよりよく理解できました。

どんな理解が良かったかというと、「ことばのはじまり」で言う「ことば」の意味することは、何か?と聞きました。言葉と言っても、会話の言葉、文字、手話、ボディランゲージ、所謂言葉を超えたノンバーバルな表現など、色々あるわけです。そんな中で、この作品の中で意味する「ことば」は、もちろん狭い意味での言葉だけではなく、広い意味での言葉でもあり、その中には音楽やダンスのような言葉もあります。そして、この作品では、両方の「ことば」の始まりが描かれています。

他にも、言葉を持つ人間は、動物よりも上位の存在だと思うか?などの愚問もぶつけてみました。もちろん、動物には動物の「ことば」がありますし、動物によって人間とは違った社会やルールを形成していることを承知で。また、この作品を構想した段階で、原発事故がどのような意味を持ったのか。創作を即興から開始して、最終的には即興の要素がなくなっていくのは、何故か?西田幾多郎の哲学から最もインスピレーションを得たのは、どの辺りか?5人の個性的なキャストを、どう調和させたり、個々を浮き立たせたりするのか?などについて。

こうして語り合っていく中で、ディディエ自身が、新たな着想を二つ思いつきました。そこで、3つのシーンが、変更になり、本日の通し稽古をしました。前回の通しの時から修正されて、構成も若干変更があるので、新鮮です。

本日の音楽は、野村が仕切らずに共演のやぶくみこさんにディレクションを委ねました。各シーンをどんな楽器で、どんな音楽にしたいかを、一度リセットして、やぶさんにディレクションしてもらいました。今までのリハーサルでの演奏を踏襲するところ、全く違ったアプローチでいく所などありますが、全体を通して、やぶさんのセンスで大変良いディレクションで、野村はやぶさんのプランに従って演奏することにして、これで通し稽古をやりました。

キャストの一人、坂口修一さんのブログも要チェック
http://blog.livedoor.jp/sakaguchi1975/archives/2014-08-23.html
http://blog.livedoor.jp/sakaguchi1975/archives/2014-08-25.html
http://blog.livedoor.jp/sakaguchi1975/archives/2014-08-27.html

本日の通しは、今までの蓄積された経験が詰まった内容でありつつ、新鮮さや驚きがいっぱいありました。明日は、音楽なしでの稽古なので、いよいよ明後日が、京都芸術センターでの最後の稽古。9月に入ったら、リハーサル会場をアトリエ劇研に移します。本番は9月4日スタート。楽しみです!

http://gekken.net/kotobanohajimari/