野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

八橋検校とコラボレーションしたい

八橋検校生誕400年を祝して法然院で開催された「おち椿の会」へ行きました。会の趣旨は、八橋検校が作った曲、八橋検校が演奏した曲、八橋検校の音楽を後世の人が引用/借用して作った曲、を取り上げるというもの。八橋検校の音楽を満喫しようと思って出かけました。久保田敏子先生の解説と、様々な箏、三絃、尺八の実演によって進行。

開演前に、仏教における「ご縁」について、住職のお話があり、主催の邦楽普及団体は「えん」。ご縁を感じて、コンサートを味わう。

このコンサートで、素晴らしい演奏により、音楽そのものを堪能したわけですが、それと同時に、企画全体を通して、予想もしないメッセージを受け取ったことも大きな収穫でした。1曲目の八橋検校作曲の箏組歌「雪のあした」を萩岡未貴の山田流箏で聴いた時点では、350年前の音楽が今も新鮮に響くことに、喜びを覚えておりましたが、そのメッセージは形を現しておりませんでした。三味線曲の最古典である三味線組歌「琉球組」を菊央雄司の野川流三味線で聴いた時点でも、菊央さんの名演にうっとりしてはいましたが、自分自身のことなど、全く考えずに聴いておりました。

ところが、3曲目の八橋検校作曲の箏組歌「菜蕗」と同時演奏することを目的として後世に光崎検校が作曲した(菊岡検校との説もあるらしい)地歌「夕べの歌」を、箏:林美恵子と、柳川三味線:林美音子で同時に別の歌詞を歌いながら同時演奏する、という演目を聴いて、仰天したのです。八橋検校の死後に、後世の音楽家が、新たな曲を作って合体させているわけです。しかも、箏組歌は独奏が原則だったのに、それに三味線を合わせてしまった。ということは、現代に生きる野村誠だって、八橋検校の曲に、あり得ない楽器を合わせたパートを追加したバージョンを作曲してもあり、ということになります。八橋検校の音楽は、今も生きていて、開いている、ということです。途中の停電のハプニングも含めて、素晴らしいパフォーマンスでした。

休憩の後に、段物「六段の調べ」(尺八手付)を、箏:渡辺岡華、尺八:岡田道明で演奏。久保田敏子先生の解説トークでは、中世/ルネッサンス音楽研究家の皆川達夫さんの最近の説によると、「六段」に合わせて隠れキリシタンのミサ曲のクレドを同時演奏すると、ぴったり合う、とのことで、そうした演奏のCDも出ているとのこと。「六段」は、八橋検校の作品であり、八橋検校の作品だ、と思っていたわけです。もちろん、そうなのですが、その中には、実は当時民間に流布していた「すががき」という曲がテーマになっていたり、ひょっとすると、隠れキリシタンのミサが入っているかもしれない。八橋検校の音楽は、それだけオープンで、色々なものが境界線を越えて飛び込んできている、ということなのです。それだけオープンだからこそ、筑紫箏から発想を得て、近代箏曲のスタイルを開拓できたイノベーターであり得たのでしょう。この日のプログラムでは、尺八の新たなパートを作って、岡田道明さんが共演をされました。このことにも、驚きました。生誕400年を祝して、原曲をそのままやるのではなく、300数十年後に、新たに尺八のパートを作って、合奏してしまう。でも、それがありなのだ、と思いました。

山田検校作曲の箏曲「ほととぎす」(箏:萩岡未貴、三味線:渡辺岡華)の中にも、「六段」が替え手風に引用/借用されていきます。ああ、八橋検校の音楽は、単に自己完結した音楽作品に留まるのではなく、後世の人々との関わりを受け入れ続けてきた「開かれた作品」として、300年以上の時代を生き続けてきたのだ、と思い知りました。あ、そういうことならば、
「恐れ多くも八橋検校さんと、355歳も若い野村誠がコラボレートさせていただいて、いいんですね。いいんですよね。あ、本当にいいんですね。」
と、八橋さんに確認させていただくと、
「そんなん、いいに決まってるやんか」
と、八橋さんはおっしゃるでしょう。それならば、チャレンジしてみたい、何か関わらせていただきたい、と思ったのです。

三味線組歌「揺上」を菊央雄司さんの素晴らしい歌と演奏で堪能し大満足だったわけですが、その後も出演者の方々と楽しくお食事させていただきました。

「六段」のお箏パートはそのままで、全然別のパート(ピアノとか鍵ハモとか?それとも、歌?)を作曲して、同時演奏できるようにしたい。「六段」が全然別の音楽に聴こえてくるような作曲がしたい。八橋検校を冒涜するのではなく、350年を越えて、八橋検校の素晴らしさを野村なりに再発見するために、八橋さんの曲と対話するように曲を作ってみたい、と思ったのです。そんなことに気付かせてくれる体験でした。ご縁に感謝です。