野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

振付家の復興と共有楽屋の効用

豊橋愛知大学メディア芸術スタジオでの公演2日目。

公演が始まる2時間前、昨日に続きストレッチをしているダンサーの砂連尾さんと増田さん。しかし、今日はそこに写真家の杉本さんや愛知大学の学生の姿もありました。ぼくは、何となくピアノを弾いていると、相模さんがパソコンから音楽を流しました。それは「天使論」のサウンドチェックだろうと思って、邪魔にならないように曲に合わせてピアノを弾いていると、そのうち、相模さんは違うものを流し始めました。それは、彼が福井で17名の人と5ヶ月かけて作った公演の制作過程で作られた「私は〜〜〜〜」という言葉の録音でした。こうした言葉とピアノとストレッチする体が一緒になったセッションで、ぼくのピアノは語り部のテンポ感に合わせて変わっていきました。本番では別々の役割を担う「復興ダンゴ」チームと、「天使論」チームと、学生が交わり合う良いセッションが行えたことを嬉しく思いました。

今日は2公演、13時の回と17時の回がありました。前半は、細かく映像の言葉に合わせて演奏するのですが、後半には、大きな枠組の中で自由度が増える場面があるので、その時によって、違った感覚におそわれます。13時の回を上演している途中で、2011年3月下旬にジョグジャカルタで行ったパフォーマンスを思い出しました。東日本大震災の直後、原発事故の直後、インドネシアの人々との即興は、祈りのような念じるような感覚だったこと、混沌とした中、その場の観客にだけでなく、遠い被災地の人々や神々や大地に届けるようなパフォーマンスだったことを思い出しました。17時の回を上演している時には、突然「放射能反対!」、「原発反対!」と連呼するデモの中にいる感覚になったりもしました。

「復興ダンゴ」というタイトルがついていますが、そもそも「復興」とは何か?と疑問を抱くところから始まった作品です。昨日の本番の後に、砂連尾さんが、「ぼく、もう一度、ちゃんと振付をしようと思う」という意味のことを言いました。コンテンポラリーダンスの振付の賞を受賞し、その後、現在の舞台芸術の有り様に疑問を呈し、より即興的なアプローチに移行し、様々な試行錯誤を行ってきた振付家が、そう言ったのです。また、彼はきちんと振付を作ろうと言うのです。だからと言って、昔と同じアプローチに戻るはずもなく、非常に楽しみです。ふと、あ、こういうことが「復興」なのかもしれない、と思いました。これから、この振付家が「復興」するのか!もとに戻るのと違う「復興」が始まるのか!と思うと、嬉しくなりました。戦争や地震の災害からの「復興」のことばかり考えていましたが、全然、予想もしていないところで、「復興」が始まるものです。(これを「復興」と呼ぶのならば)。

アフタートークも、打ち上げも、本当に楽しかった。何より、「天使論」の相模友士郎さん、増田美佳さんと出会えたこと、共感できたことは大きな喜びです。実は京都で結構近所に住んでいる才能ある演出家とダンサーに、豊橋で出会い交流できたのは、愛知大学メディア芸術専攻という仲介(=メディア)があったから。あ、この公演自体が、メディア=媒介として、様々な交換を引き起こしたのか。出演者⇔学生、出演者⇔観客、出演者⇔出演者。それは、楽屋が不足して、同じ楽屋で過ごさなければいけなかったこととも、少しは関係する。普通に考えれば、楽屋は多数あった方が良い。でも、相互作用を生み出す上で、ぼくらがメディア芸術ラボで、仕切りのない楽屋で、同じ場所にいられたことは、実は大きなことだったのです。楽屋不足に感謝。