野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

直観と論理と構築と脱構築

ダンサーの砂連尾理さんと、愛知大学の公演に向けて、ドキュメンタリー・オペラ「復興ダンゴ」のリハーサルをしました。「復興ダンゴ」とは、ぼくが作曲したオペラです。オペラとは日本語で「歌劇」ですが、「歌劇」という言葉を聞くと、どうしても「過激」も同時に連想してしまうので、「オペラ」とは「過激な歌劇」になります。歌劇ですから、当然、歌によって進行する劇ですが、通常のオペラ歌手が登場するのではなく、その代わりに老人ホームのお年寄りの言葉が映像で登場します。お年寄りが喋っているだけで、こんなの歌ではないじゃないか、と思いますが、お年寄りの語る言葉にはリズムがあり、抑揚があるので、それは立派なメロディーに聞こえてきます。そして、「うったえる(=訴える)」言葉は、「うたえる(=歌得る)」わけで、お年寄りの言葉を歌として聞いてピアノで伴奏すると、それはオペラになるわけです。ということで、映像のお年寄りの言葉から、ぼくはこのオペラを作曲したわけですが、砂連尾さんには、振付をお願いしました。つまり、語っているお年寄りの動作は、ダンスであるわけなので、お年寄りの語る映像から、魅力的な身振りを抽出してもらって、それをダンスとして構成する、という作業をお願いしたわけです。砂連尾さんが抽出した動きは、ぼくなんかは見落としてしまいそうな微かな動きだったりして、振付家というのは、こんな動きを見ているのか、と驚きました。そんな作業を、丁度2年前にして、この作品の土台はできたわけです。(まさに2年前の今日だったわけです。2年前の日記を再読してみましょう)。

http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20120104
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20120105

そうして、東日本大震災の3ヶ月後に構想し、8ヶ月後に撮影し、10ヶ月後に編集し、11ヶ月後に上演した作品を、震災の2年10ヶ月後に再演するわけです。作品はどのように変わり、どのように変わらないのでしょう。そんなことを入り口に、作品の本質へ、ダンスの本質へ、掘り下げる作業を行いました。初演というのは、完成度では再演に劣りますが、やりたいことをストレートに表現できます。逆に、再演は完成度も上げられますし、細かいところまで修正もできるのですが、小細工できてしまう分、小細工に走りがちです。でも、そうした小細工の誘惑に負けずに、正攻法で再演を行うことが重要になります。そうした確認作業に、砂連尾さんは丁寧に向き合って下さります。感謝であります。

「復興ダンゴ」という作品は、お年寄り達の語りから出発し、そうした言葉を断片化し反復して、音楽として構築し展開していきます。冒頭30分は言葉がずっと飛び交います。しかし、その後、言葉がなくなり、仕草や音など、言葉以外の表現だけが残るのです。だんだんと、言語の世界から非言語の深淵に入って行く作品です。砂連尾さんの言葉を借りれば、直観と構築。直観は論理よりも速く、瞬時に本質に向かいます。そうした直感力によりながら、作品を構築していくことは、結構難しいわけですが、それこそ職人的な技術を発揮する場でもあり、やりがいがあるわけです。

いよいよ3日後には、豊橋入りします。ドキドキします。