野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ソンクラー大学のレン、そしてノラー・ロンクルー

朝4:30起床して、ドンムアン空港を目指す。朝5時にタクシーなんて走っているのかなぁ、と歩き始めると、簡単につかまり、渋滞もなく、空港へ。アナンと空港で会い、ハッジャイ行きの飛行機に乗る。ハッジャイは、マレーシアとの国境の近く。北緯15度近いバンコクから、北緯5度くらいのハッジャイまで南下。8時にハッジャイ空港に着く。ソンクラー大学の学生が迎えにくる。タイ南部は紛争も多く、外務省から渡航の検討を勧告されている地域もあるが、ソンクラーは安全のようだ。ソンクラーの大学の学生が車で迎えにくる。車で30分ほど。仏教徒が大多数を占めるタイだが、マレーシアの国境近くでは、イスラム教徒が多く、モスクも目にし、インドネシアの雰囲気に近づく。

ソンクラー大学に9時過ぎに着く。ここの学科長は、昔アナンの学生だった。と紹介されると、2004年にバンコクで会ったことがあるパムだった。彼はタイの伝統楽器の名手だ。9年ぶりの再会を喜ぶ。アナンは「研究の方法」に関する特別講義を担当。タイ語なので、全然分からないが、パワーポイントで出てくる画像や映像から、何となく想像できるだろう。ディジリドゥーの画像が出てきて、次に、超ミニのビキニ姿のセクシーな女性がライブハウスのステージ上で踊っている映像。???。さらには、タイ語のラッパーは出てきたかと思うと、フレミングの左手の法則みたいな手の形にして、何やら話す。急に、様々な国の言葉で、music、musik、音楽、など「音楽」を意味する言葉が出てくる。「音楽」という言葉の意味について語っているのだろう。と思うと、魚釣りの画像。全然、ストーリーの展開が読めない。続いて、ヌードルの画像。そのうち、何種類ものヌードルの画像が出てきて、学生が前にきて、何か語り始める。これは、異なる麺で、栄養価、味、材料、レシピ、文化などを比較しているのだろう。麺でやれば、民族ヌードル学、麺を音楽にすれば、民族音楽学になるというわけだ。これで、話の筋が読めた、と思ったら、急に言葉が出てきて、学生が前に来て、歌い始めたり、エジソンの画像が出てきたりして、全く最後まで、展開が分からなかった。そして、最後に、拍手の後、エンドロール代わりに、講義と全く関係がなさそうなセクシーな女の子が次々に出てくる映像を流して、おしまい。

アナンに、講義の内容を尋ねると、こんな答えが返ってきた。冒頭部分は、最古の職業について語っていた、という。3つの重要な職業があって、一つはシャーマンで、神と交信したり魔法をつかったりする。一つは、売春で、彼は敢えて「売春」という言葉を使い、人を喜ばせるエンターテイナーと位置づける。もう一つが教師で、人に教える。アナンは、この3つを兼ね備えた仕事を目指している、とのこと。学術研究なんて面白くないから、魚釣りの話をしよう。楽曲分析するより、ヌードルの分析をしよう、と言って、ヌードルの分析をさせていたらしい。ランチに各自がヌードルの調査をして、レポートを提出する、というのが課題になったそうだ。「タイ語がわかると、ぼくがいかに俗っぽい言葉で話しているかが分かる。ぼくの話している言葉は、酷いタイ語だ。だから学生達は、ぼくの授業が好きなんだ。」とアナン。

昼食を食べながら、アナンと、「音楽」という言葉について話す。タイ語では、ドントリーで、意味は「弦の振動」。なるほど、漢字の「樂」は、台の上で太鼓を叩いているところが元だと言うけど、こっちは弦なんだ。そこから脱線していくうちに、日本語の古語の「遊び」と現代語の「演奏」という言葉について話すことになる。英語の"play"と"perform"に対応させて彼は解釈し、タイ語にも、演奏するという意味で、

レン=演奏する、楽しむ、セックスする
サダーン=ちゃんと演奏する

という2語があることを説明してくれる。午後のぼくのワークショップには、数十名の学生が参加。タイ民謡に出てくるタイのオーボエ、太鼓、胡弓やシタール風の楽器、小さなゴングが2つとフィンガーシンバルが組み合わさった楽器など。ぼくの鍵ハモソロ演奏を聴いてもらうところから、言葉の説明を一切介さずに、即興演奏に傾れ込み、ぼくの踊りに合わせて演奏してもらったり、簡単な指揮でソロとトゥッティになったり、ウェーブのように音が回ったり、2群の掛合いになったり、声が加わったりする。この即興演奏にタイトルをつけたところsandとなり、
 
ソロ鍵ハモー足をあげての演奏ー加わるーダンサーが激しく踊る、疲れるーオーボエソロと全員を交互にー2群が交互にーウェーブのように音が回るー全体で演奏ー声が加わるー歌声をマイクでー盛り上がり終わるーボナンが一音

という構成になる。そして、この即興と同じ流れで、再度演奏してみる。即興の時は、ただ自然に楽しんでいたのが、前の演奏をなぞると、楽しみが減りやすいが、完成度は高まる。「この音楽を100年続けていけば、100年後に伝統音楽になるよ」と言ったぼくの言葉を、アナンは非常に面白がっていた。100年続けた後にも、100年前に生まれた瞬間の喜びを保持し続けられるか、が大きな課題になる。記念品贈呈のため、ワークショップの最後に、学部長がやってきた。せっかくなので、この曲を学部長に聞いてもらう。この学部長は、西洋音楽の先生で、ユースオーケストラの指揮をしている。仏教徒イスラム教徒の対立で紛争が絶えない地域で、仏教徒イスラム教徒が一緒に演奏するユースオーケストラを行っている。決して上手ではないユースオーケストラだが、毎週学生を連れて、爆破とかのある所を通って40キロ離れた町まで通って、対立を越えて共演するオーケストラを続けている。いつか、こんなオーケストラのために、曲を書きたくなったら、送って下さい、と言われる。ワークショップの後、アナンが言う。学生達は即興の中でも、太鼓をタイの宮廷音楽の奏法で叩いていた。タイ南部の芸能の叩き方が全然出てこない。大学でタイ中部の宮廷の太鼓を教えている弊害だ。ぼくはそのことを大学の先生達に注意したんだ、とのこと。

非常に濃厚な一日だが、もう一幕あった。アナンの元学生で別の大学の学部長をしている教授など、何人もの大学の先生がアナンを訪ねてきて、みんなで何か芸能を見に行くらしい。これが、ノラー・ロンクルーという治療のダンス。重病の村人を治療するために医者を呼ぶのではなく、シャーマンを呼び、祖先の霊を降ろす儀式をして、それによって治療するというもの。40キロほど離れたラッタプームという町の郊外の街灯のない道を、奥へ奥へと行き、人に道を尋ねながら辿り着く。満点の星空のもと、村人が集まっており、原っぱの真ん中に、竹で作った仮設の舞台がある。舞台の裏に案内されると、踊り子たちが食事をしていた。6時から9時まで3時間かけて、霊を降ろすことに成功し、現在、休憩中とのこと。この儀式のために作ったこの建物は、一切釘を使わずに建てるそうだ。太鼓とオーボエと2つのゴングとフィンガーシンバル。小屋の外には、何故かエレキベースとキーボード。アナンが言う「昼間の学生たちの太鼓の叩き方と全然違うやろ?これが、南部の民謡のリズムだ」。

精霊を歓迎し、精霊を喜ばせる踊りは深夜まで続いた。お年寄りから子どもまで、誰も帰らずにこれに立ち合っている。儀式は延々と続く。この儀式を行っている家には、ブタの顔をはじめとするお供えがあり、そこに案内された。釘を使わずに小屋を建てる技術も、こうした芸能も、次の世代には消えてしまうだろう、と主人が語ってくれた。シャーマン達は、踊りの途中で歌い出したり、漫才のようなトークになったりする。途中では、大衆歌謡も歌ったそうだ。アナンによると、歌詞の意味がさっぱり分からない古曲があるかと思うと、みんなが知ってる歌詞の歌謡曲も登場。凄い夜だった。