野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ノムラノピアノと東南アジア

CD「ノムラノピアノ」が完成間近です。朝、ジャケットとブックレットのデザインが届きました。アートディレクション、写真は、島袋道浩さんです。ブックレットは、島袋さんが作った写真集で、野村誠と直接は関係ない写真でありながら、写真集全体で野村誠の音楽を表現しているような作品で、素晴らしい。

http://www.shimabuku.net/

そんなブックレットを見ていたら、このCDを一緒に作っている「とんつーレコード」の小山さんから電話。いいのができたねー、と喜びながら、発売時期は、野村の東南アジアからの帰国に合わせて、7月中旬にしようか、と話す。

http://03150.net/tontuu/

今日まで我が家に宿泊していた友人を訪ねて、ダンサーがやって来て、音を録音していく。

その後、ジャワ舞踊の達人と会食。来週からインドネシアに行き、インドネシア、タイの作曲家と「原発」をテーマにしたコラボレーションをするのですが、どうやって行うかについては、結構、悩むところはあり、相談しました。もちろん、日本の電力会社が、東南アジアに原発を輸出していくのは、ぼく個人としては、反対です。インドネシアのような地震の多い国、現時点で電力消費量も非常に少なく停電も頻繁にある国が、電力消費量が10倍くらいに増えて、原発を作るなんて、なって欲しくないのですが、それは、外国人としての気持ちです。で、この企画案を考え、日本財団APIフェローに応募したのは、2011年8月、震災後5ヶ月経って、帰国して間もなくの頃でした。

http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/api/fellows-jp/12/Nomura_Makoto.html

どうしてこんな企画を考えたのか、というと、被曝国家で放射能汚染された国家の国民として、海外の友人から心配されたり応援されたり支援されたりする立場になって、正直、悔しかったのです。支援されるばかりで、心配されるばかりです。かつて、作業療法士の川口淳一さんが言っていたことを思い出しました。介護され続けて、自分から人に何もしてあげられないことほど、辛いことはない。そう思って、川口さんは、お年寄りに手伝けしてもらうために劇団をつくり、お年寄りに受付をしてもらったり、前説をしてもらったり、小道具を作ってもらったりしました。それにヒントを受けて、ぼくら被曝国家の国民が、海外の人を助けられることって、何だろうと思った時に、これから原発を始めようとしている国に、何かできないか、と思ったのです。

ところが、いざ自分が行って、現地の音楽家とコラボレートする時に、日本人の方が原発事故について多くを知っていて、情報を多く持っているのですが、そうした情報を教えるのも違うな、と思うのです。ぼくの方が、渦中にいるからこそ見えなくなっていることもある。インドネシアの賢者達の知恵をお借りする。一緒に考えてもらう。そして、ぼくの方が、原発事故後の日本で1年半暮らし、自分で自覚していないけれど、心身ともに傷ついている。もはや、日本人同士で、「原発」をテーマに作品づくりをする冷静さも失っているくらい渦中にいる。一度、日本を離れて、離れたからこそ、原発事故後の日本や世界について、冷静になれる気がします。

原発」をテーマに共同作曲をする、といった時に、何が起こるのか、全然想像がつきませんが、大切な何かに気づかせてもらえる、そういう体験になるのではないか、と思っております。そんな話を湯気と踊る舞踊家と話して、考えも少しずつ整理されてきております。そして、参考に以下の動画を紹介してもらいました。

我が家に1週間宿泊していた友人は、東の国へ帰って行きました。そして、実は、今日は、3年前に結婚式を挙げた日でした。あれから3年。2年前は、結婚1周年と同時に、東日本大震災から1ヶ月の日でした。