野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

メロディオンの生みの親

鍵盤ハーモニカをリサイクルで10台も集めたのは1993年だが、本気でやろうと決意したのは1996年だ。バカみたいな宣言文を書いて、そして、楽器メイカーも訪ねたいと思ったところ、鈴木楽器は快諾してくれて、1996年6月に浜松の鈴木楽器を訪ねた。当時、社長だった鈴木萬司さんは、無名の20代に鍵ハモへの思いを熱く語ってくれた。遥か昔に製造中止だったアンデスを、倉庫の中から探し出して下さった(今も大事に使っています)。鈴木萬司さんの遺志を受け継ぎ、ケンハモの魅力を後世に伝えていく決意を改めて。ご冥福をお祈りいたします。

 

鈴木萬司さん死去 「メロディオン」開発:中日新聞しずおかWeb

 

今日は、二度寝して「四股1000」は参加しそびれるし、歯車が噛み合わない。満月だから仕方がないか。確定申告の書類に計算間違いを見つけてしまい、税務署に行ったりもした。ふうっ。

 

8月9日の竹澤悦子さんの熱演の野村誠作曲/一ノ矢原作「初代高砂浦五郎」の動画ができあがってきて、3週間ぶりにあの興奮を体験する。近々、動画公開の予定。

 

明日、島袋道浩くんの(瓜生山の)京都芸術大学の講義に参加するので、そのための準備。島袋くんの本日の講義はオンライン配信があるとの知らせがあり、YouTubeで視聴。彼の作品や活動は、一緒に体験したものも多く、現場に行っていないものも話では聞かせてもらっているので、ほとんど知っている。でも、また聞くと感動するし共感する。ぼくと島袋くんとのコラボレーションって、本当にいっぱいある。

 

93年 島袋+野村で「路上バンド」を始める

94年 「路上バンド」と詩人吉増剛造の遭遇。

95年 水戸芸術館での野村の「でしでしでし」に島袋トイピアノで出演

   野村のイギリスでの「神戸のためのコンサート」に島袋が電話で共演。

   吉増剛造「路上バンドに会った日に神はドイツに行ってしまった」発表。

96年 島袋のインスタレーション「南半球」のために野村、自動ピアノの音楽を作曲。

   島袋の岩倉でのパブリックアート「未来の思い出」に、野村も参加。

97年 島袋+野村でシンガーソングライターTASKEのCDをプロデュース。

98年 パリのグループ展「Donaiyanen」に島袋も野村も参加。

01年 「タコとタヌキ 島袋野村芸術研究基金」設立(オペラシティの「出会い展」)

   島袋の「そしてタコに東京観光を送ることにした」に、野村も登場。

   ロンドンのヘイワードギャラリーのグループ展「Facts of Life」に島袋も野村も参加。

   島袋の本「見えないところに行けるけど、見えてるところになかなか行けない」に野村が「ぼくと島袋」を執筆

03年 「音楽ノ未来 野村誠の世界」に島袋「ちくわ、がんばれ!」を寄稿。

06年 島袋+野村+山下残で「僕たちの好きな本」を開催。

08年 島袋の豊田市美術館での展示に、モレノベローゾ野村誠の即興セッション映像 

12年 ロンドンのヘイワードギャラリーでの「Wide Open School」に島袋も野村も参加。

13年 CD「ノムラノピアノ」(とんつーレコード)を共同プロデュース

14年 島袋「白鳥、海へいく」の音楽を野村が担当

16年 島袋の「弓から弓へ」の音楽を野村が作曲+映像に出演。

   生演奏付きトークショー「島袋の弓 ノムラノピアノ」開催。

19年 リボーンアートフェスティバルで島袋キュレーションの吉増剛造「詩人の家」にて、野村誠吉増剛造の即興セッション(青葉市子も加わる)