野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

だじゃれ、地口の可能性〜小泉文夫「音楽の根源にあるもの」より

部屋でゴロゴロしながら、小泉文夫の「音楽の根源にあるもの」を手に取り、ぱっとページを開いたら、

だじゃれ、地口の可能性

という文字が飛び込んできました。たまたま開けた325ページの見出しが、これだったのです。小泉文夫谷川俊太郎による対談で、「音楽・言葉・共同体」というタイトルのもの。

たとえば、もう二十年以上前に、“マチネ・ポエティック”という運動があって、中村真一郎さんとか福永武彦さんたちが、西洋のソネットという形をまねして、西洋と大体同じようなルールで脚韻を踏んで氏をつくった運動があったわけです。これは一つの運動としておもしろい運動だったんだけれでも、実際にその程度の脚韻の踏み方じゃ、日本人の耳に何も韻が聞こえてこない、生理的に。これはちょっと否定しようがない。日本人の耳に聞こえるぐらい詩で韻を踏もうとすると、これはもうだじゃれ、地口のたぐいになるわけね(笑)。だから逆にみんなそんなことは避けてる。ぼくはそれを避けてるからだめだという気がしているわけで、つまりだじゃれ、地口で詩を書けばいいじゃないかということが一つぼくの発想にあって、それで『ことばあそびうた』というふうな詩集をつくったりしているんです。

そのまま読み進んでいって、結局、そこから27ページ進んだ先で、谷川俊太郎小泉文夫も、だじゃれと地口の話をして、最後に小泉文夫

あれなんかも、その場でつくってみんなでワハハと笑ってそれでいいんです。そういう気持ちがだんだん出てきたということはぼくは面白いと思う。

と言って、対談が終わっていました。今から37年前の対談です。それにしても、ページを開いたら、偶々このページというのは、なんということでしょう!小泉文夫さんも、谷川俊太郎さんも、だじゃれの可能性について語っても、「だじゃれ音楽」というアイディアには行き着かなかったようです。でも、かつて東京芸大の教授であった小泉文夫さんから、今、千住の東京芸大で行っている「だじゃれ音楽」を応援してもらっているような気がしました。

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