野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

木ノ下歌舞伎にトーク出演

横浜STスポットにて、「復興ダンゴ」の公演に向けての通し稽古をした後に、にぎわい座にて、木ノ下歌舞伎の公演を観ました。終演後のトークにもゲスト出演しました。

観劇直後に、15分の短い時間で、杉原邦生さん、きたまりさんという全く作風の違う2作品について、お二人+木ノ下裕一さんと話すのは、なかなか大変で、各作品について、短いコメントや質問で終わってしまいまして、もう少し、この団体の魅力や各演出家の魅力、ダンサーの魅力、今後の可能性まで、うまく言えれば良かったなぁ、と反省。でも、とても良い刺激を受けました。

杉原さんの「三番叟」について、二つの質問をしました。質問1は、オリジナルの「三番叟」は五穀豊穣の神事を題材にしているとのことですが、杉原「三番叟」は、神に向けて作っているのか、違うのか、という質問。この質問をきっかけに、色々と杉原氏+木ノ下氏による創作プロセスの秘話や考え方が聞けた上に、彼ら自身がエンターテインメントの神に捧げていると、(ぼくの勝手な解釈ですが)確信できたことが、とても良かった。

質問2は、テクノミュージックが延々と流れるけれど、あのテンポがベストなのだろうか?という問い。現状の音楽が悪いわけでも何でもありません。ただ、その時の観客やダンサーの様子や雰囲気に応じて、本気のクラブDJがその場でライブで選曲しながら流すバージョンで、いつか観てみたいな、と個人的には思いました。

きたまりさんは、終演後の着替えなどもあり、一緒にお話する時間が、さらに少なかった上に、初対面で相手の性格が分からず、ついつい遠慮して、踏み込んだ物言いをしないうちに時間切れ。

すばらしいソロでしたね
はい
よく弾みますね
名前が「まり」だからでしょうか
踊っている中に現れる素のきたまりさんが見える瞬間が一番魅力的でした
‥‥

トークとしては、もう少し、気のきいた質問をすべきでした。反省。ただ、時間が短かったので、一番言いたいことを言うだけ言ってきました。こちらに、ちょいと補足。

古典に対して、真っ向からソロで挑むという姿勢自体に、非常に好感を持ちました。その調子で逃げずに前進して下さい、と思ったのです。それと、歌舞伎のストーリーに向き合い、自分のコンセプトで演出を考えて、その上で踊っておられるわけで、そこには、演出家としてのきたまりさんと、ダンサーとしてのきたまりさんがいます。ぼくは、ダンサーとしてのきたまりさんに語っていたのだと思います。つまり、ストーリーも演出をも超越して、無心になって踊っている瞬間が訪れた時、そこには、ストーリーや演技を超越した素の身体が存在するのですが、その空っぽの素の身体こそ、魅力的だ、と思ったのです。空っぽであるがゆえに、何にでも(OLでも、おばあちゃんでも、大蛇でも、亡霊でも、おっさんでも、宇宙でも)なり得るのです。ダンサーきたまりが、原作も演出も越えて無になっていく瞬間。そうした瞬間こそが、原作や演出を最も照らす、と思える瞬間で、それが一番素敵だと思った、ということが言いたかった。古典を入り口にしても良いし、コンセプトを入り口にしても良いし、何を入り口にしても良くって、あなたの無心の踊りを、もっともっと観たい、と思った、ということです。

そして、こうした演出家の試行錯誤の場を提供していく木ノ下裕一氏の野望が、着実に実を結んでいます。そして、多くの観客が木ノ下歌舞伎の上演作品について、批評をするという形で応援/激励していくこと、それがとても重要であり、必要な気がしました。このプロジェクトで行われている実験は、もっと徹底的に研究/検証されて、多くの人でシェアしていくべきもので、それだけの価値がある実験だ、とぼくは思います。完成度や体裁や流行ばかりを追いかけて浮ついていてはいけません。物事の本質にしっかり目を向けて、日本の現代演劇の可能性を考える上で、木ノ下歌舞伎の動向を、みんなで見守っていきましょう。