野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

釜ヶ崎芸術大学のち木ノ下歌舞伎ミュージアム

釜ヶ崎芸術大学の講義2回目。五線譜の読み方についての講義。リズムの読み方は理屈を教わっても結局、頭が痛くなるだけで、多分、よく見るリズムパターンを丸ごと覚えた方が早い、と結論。このリズムは、「トンカチ」、このリズムは「パチンコ」といった具合に覚えちゃった方がいいです。

その後、コップに水を入れて、水の量でコップを調律しました。皆さん、結構苦戦して、一応、ドレミファソラシと揃えることに成功。せっかく、これだけ揃えたので、一人1コップずつ持って並んだらメロディーができるかな、とやったら、本当に素敵なメロディーになりました。

そして、恒例になった紙に書いてある言葉を演奏するアンサンブルをやって終了。次回は12月7日。次回も楽しみですね。一回だけでも参加できるので、ご興味のある方は是非どうぞ。

家に帰り、由紀さん/祐一郎くんに譲ることになった電子ピアノの受け渡し。1991年に購入して以来22年半使った電子ピアノを手放し、逆に、数日前から足踏みオルガンが我が家にやってきました。不思議なご縁です。

その後、春秋座に木ノ下歌舞伎の公演を見に行きました。公演を見に行くつもりだったのですが、木ノ下歌舞伎ミュージアムの開館記念式典に参加しました。これは、非常に面白い体験でした。なんでも7年前から、このミュージアムの構想があったと言うことで、幕開けはテープカットでした。うわっ!7年前!テープカット!

ちょうど7年前、2006年11月、ぼくは取手アートプロジェクトで「あーだ・こーだ・けーだ」というプロジェクトをやった中で、「取手民俗博物館」という架空の博物館をやって、その館長の尾崎くんがテープカットをし、「閉館後の館内をご覧下さい」とやったことを思い出し、丁度あの頃に、木ノ下くんはミュージアム構想をしていたのかぁと思い、ご縁を感じたわけです。もちろん、その構想が7年前からあった、と語られていること自体が、フィクションかもしれませんが、それでも偶然の一致にドキドキしました。そして、7年前の「取手民俗博物館」の館長をした尾崎くんは、当時、京都造形芸大の学生で、今、ぼくは彼の通っていた大学の劇場「春秋座」でこれを見ているのかぁ、と。

(と思って7年前の写真を当時の取手のブログで見てみましたが、「取手民俗博物館」ほか、様々な写真がありましたが、テープカットの写真はなかったです)。

http://d.hatena.ne.jp/tap_adakodakeda/20061119

あの時は、主に美術系の面子だったので、実際にそうした架空の博物館で展示するものを作ることに、ウエイトがあったのですね。

さて、木ノ下歌舞伎ミュージアムも、そして開館記念式典も、そして式典の最後に上演された「三番叟」も、とても楽しみました。開館記念式典は、パロディーと言えなくもないし、展示の中で語られていたように「もどき」のようでもあり得るのですが、実はあまりパロディーではなく本当のことだったりするところが、非常に面白い。フィクションのようでノンフィクションで、ノンフィクションのようでフィクションで、演劇なんだか本当なんだか、その境界線があやふやなところが面白い。もちろん、観客はパロディーとして笑うのですが、、、。でも、よく考えると、変なのです。

ぼくは、公演の客として来場したのですが、それでいいのかなぁ、と思ってしまう。それよりは、式典に参加する客を演じるべきなのでは、と思うわけです。そして、式典に参加する客であるならば、どういう客を演じたらいいのだろう?と考えさせられるわけです。ぼくは、この博物館関係の人なのか、理事長の友人なのか、行政の人なのか、作曲家なのか、どういう役として客席に座っているのかを決めないと、どうやってその場にいていいかが分からなくなるわけです。ぼくの場合は、ひとまず、理事長の友人の作曲家という役を演じることにしました。

我々はこの芝居の中で「式典の客」という役を与えられ、その役を全うする俳優としてその場にいることになったのです。巧妙に参加劇に参加させられたわけです。しかし、この客という役を演じるのは、そもそも客として見に来ているので、演じているようで素のような立場でもあるわけです。そして、木ノ下歌舞伎ミュージアムの理事長や館長を演じている方々も、実際も木ノ下歌舞伎の主宰者だったりするので、演じているけれども、素のままのようでもあるのでした。フィクションとノンフィクションの狭間にいるのが、非常に面白い体験でした。

その後、茂山童司さんの「三番三」の舞いが素晴らしく、観客を演じることを忘れさせられ、熱中する客という役になりました。こうなると、いつまで演じているけど演じていない素のままの観客役をやり続けなければいけないのかが、分からなくなります。舞台上で出演者が観客におじぎをして拍手をしているのも、まだ劇中劇の中の拍手のシーンのようでしたし、お土産を受け取りアンケート用紙のご記入をと言われるところも、劇中のような終演後のような場面なわけです。つまり、夢のような現実なのか、現実のような夢なのか、そんな状況なので、どこでお芝居を終わりにしていいのか、その境界が非常に難しかったわけです。

ということで、ぼくが相変わらず、「木ノ下歌舞伎ミュージアム開館記念式典」を訪れたミュージアム理事長の友人の作曲家という役を演じているうちに、周りはいつの間にか、終演後の日常に戻っており、ぼくも慌てて、何とかただの野村誠に戻って、日常に戻って行くことにしました。フィクションとノンフィクションの境界はこんなにシンクロするのだから、あの世とこの世の境界も、こんな風なんだなぁ、と思いながら、さっと日常に帰って来まして、木ノ下くんと邦生くんに感謝しつつ、翌日には町内の運動会で走らねばならない、という現実に備えて、通常よりも早く帰ってさっさと寝ました。

http://kyoto-ex.jp/program/kinoshita-kabuki/