野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

忘れられない一年でした

忘年会にも、ほとんど誘われることもなく、インドネシアでの新プロジェクト関係の申請書なども作成したり、家の片づけなどをしながら、年末を迎えております。

インドネシアでの濃密なコラボレーションの日々。大震災と原発事故。そんな中で、日本の国土、日本の風土、日本の生活文化への愛着が、これまでにも増して強くなりました。

と同時に、放射能汚染と共存する生活を強いられ、模索の日々でした。マスクの着用や、肉、魚、乳製品を中心に食材の自粛、さらには外食の自粛、などをせざるを得なくなりました。

そして、友人、知人からの情報の収集、新しいライフスタイルへ向けての情報交換やディスカッションの模索をしました。しかし、ディスカッションできるだけの精神的な余裕を持てるのは、精神的に強い人やダメージの軽度な人で、渦中にいれば、精神的/肉体的に傷が大きく、まずは傷を癒すのが第一というのが現状です。なかなか情報交換やディスカッションは、多くの人と十分にできたとは言えません。でも、焦ってはいけないと考えました。

放射能汚染に対する除染などの対策や、原発に対するアクションは、急を要するだけに、焦って即行動となりますが、焦らずに、長期的な視点に立ち、ゆっくりと世界を変えていくことに取り組もうと思いました。

お年寄りから戦後の復興の話を伺い、ヒントを探しました。また、原発推進や容認の人と接点を持つ方法を考えたりしました。そこから、だじゃれ音楽祭というアイディアを思いつき、原発利権の近くにいるおじさん達の世界と、アートの世界の交差する場を模索しております。

また、これから原発を作ろうとしているアジア諸国や諸外国に向けて、発信していくことも、計画中です。被曝国家日本に暮らす者として、我々こそ、放射能汚染の生活を世界に伝え、これから原発を作ったり、原発事故に遭遇する可能性のある人々に、我々の強いられている実体験や気持ちを発信していけるはずです。そんな作品を作って、発信していくつもりです。我々が被災者ですが、被災者は援助を受けるだけでなく、発信することで、逆に諸外国を救済することだってできる、と思って降ります。

慌てない、焦らない、丁寧にコミュニケートする、丁寧に生活をする、人の話に耳を傾ける

そんなところから、初めていける手応えを、少しずつ蓄えた一年でした。来年も、よろしくです。