野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ウーキルとのコンサート/ディスカッション

iCANでのwipsシリーズの一環として、演奏とディスカッション。ウーキルとぼくが作ってきた音楽をプレゼンし、それについて観客も交えてディスカッションする。司会進行のアンタリクサも上手に進めてくれた。最初に、Lapindo事故地でのウーキル他によるパフォーマンス映像を見る。Lapindoという会社が天然ガスを採掘してミスをしでかし、辺り一帯の村々が泥に沈み、人が住めない地帯になってしまった。この状況は、日本の原発事故に非常に似ている。

その後、ウーキルと作った3つの作品を一気に演奏し、観客とのディスカッションをした。今日の話で明確になったことは、ぼくらが作曲する時、「原発事故」、「放射能」、などのキーワードを全く考えずに作曲したということ。ぼくらは、潔くこれらのテーマを忘れて作曲した。原発事故について、その後の日本の状況について、さらには、未来への可能性について、ぼくとウーキルは言葉では語り合った。しかし、その後、音楽をする時には、原発のことも、放射能のことも、全て一度忘れて、ただ、音の世界で会話をした。言語のロジックではなく、音楽の中で無意識の感覚を大切にして、音で対話をするのだ。そうして、できてきた作品は、原発とも放射能とも、無関係の単なる音楽だ。しかし、ぼくらは演奏後に話をしているうちに、ぼくらが生きている現代社会と、この音楽の間に、何らかの関係性を見出してしまうことがある。音の世界で会話した内容を、再度、言葉の世界で解釈してしまうのだ。そうした会話が、音楽作品を別の角度から見る作業になり、曲のアイディアが発展したりする。そうしたアイディアをフィードバックして、また、即興演奏をする。もちろん、演奏する時は、言葉で考えたことを極力忘れて、音に集中する。すると、言葉のロジックでは出てこない深層心理の何かが、時に沸き上がってくる。

このように、言葉や意味に縛られず、音の世界で無意識の深層心理の中に潜む真理をキャッチすることこそ、作曲の仕事だと、今日のディスカッションで再確認できた。こうなってくると、タイトルをどうつけるか、も重要になる、という議論もあった。タイトルで意味を限定し過ぎると、せっかく非言語の音楽で伝わるメッセージが狭くなってしまう。タイトルは限定するよりも想像力を喚起する方がいい。

突然、観客を交えての即興セッションをしたいと、ウーキルが提案した。たまたま日本から来ているアミちゃんも参加、ウーキルのバンドのボーカルのルリーも参加。気がつくと、二人のボイスパフォーマーの競演が実現していた。ああ、これはウーキルの演出だったのだ、と演奏が始まってから気づいた。出会いのセッションだった。

最後に、ウーキルと二人で演奏した。この曲の最後、ウーキルはいつまでも演奏を終えたくない感じだった。コラボレーションの時間がいつまでも続いていたい、という気持ちが伝わってきた。ありがとう、ウーキル。

打ち上げで、iCANのアンタリクサが1960年代のインドネシアの現代美術に関する本を書いた話をしてくれた。さらに、彼の最近の調査内容、1942年〜45年頃のインドネシアの美術と、その当時にインドネシアにいた日本人美術家が与えた影響についての非常に興味深い話があった。まだまだ、奥深いインドネシア