野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

山下残の「庭みたいなもの」という俳句たち

伊丹のAIホールにて、山下残の新作ダンス公演「庭みたいなもの」を観ました。

人がその場で存在していたり、何げなく動いたりすること。または、動きたいという衝動を持つ瞬間。そんなダンスの生まれる瞬間を捕えることがダンスだと、残くんの作品を観ると思います。

そうしたダンスの根源をダンスするのに、必ずしも所謂ダンサーの人が最適とは限らなかったりします。時にダンサーは、既存のダンスのテクニックや動きの癖が身体に染み着いているため、意味もなくダンスっぽく動いてしまったりするからです。

今日の作品には、俳優の人が何人も出演していて、とても良いダンスになっていました。俳優さんは、身体に染み着いている動きの癖が均一化されていないし、かえって自然にダンスしてしまえる。そういうところが良いと思いました。

それにしても、「俳優」という言葉の「俳」っていう文字は、俳句、俳諧の「俳」です。どうして、「俳優」というのでしょう?

俳句を題材に「せき」という作品も作ったことがあり、デビュー作が「詩の朗読」である山下残くんの「庭のようなもの」は、80分のストーリーではなく、俳諧連歌を楽しむ、または詩集を楽しむような瞬間のダンスを楽しむ場でした。俳句のようなシーンがあり、そこと繋がっていく別の俳句のようなシーンがある。制約された言葉の中で、俳句が立ち上がるようにダンスが立ち上がってくる。文脈や背景から切り離されたシーンが観客の想像力をかき立てるのは、まさに俳句で、鑑賞者の遊び心があれば、作品はより一層楽しめる、そんな風流な作品でした。日本の詩の延長上に、存在している振付家は、山下残以外には知りません。残くんは詩人であり、出演者たちのことを、俳優とかダンサーと呼ばずに、俳人と呼んでみても良いかもしれません。

伊丹(兵庫)公演は、9月11日まで、9月下旬には、横浜公園、1月には山口公演もあるようです。俳句のようにダンスを味わいたい風流な皆さん、是非足をお運び下さい。