野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

野村誠の大洪水

山下残くんの振付作品「大洪水」が明日に世界初演ですが、見に行けないので、本番前日のゲネプロを見に行く。

2007年1月に残くんが発表した「動物の演劇」は、野村誠の「ズーラシアの音楽」を原作として舞台作品化したもの。それ以来、3年間、新作を作らなかった残くんが、なぜ3年間沈黙していたのか、3年の沈黙の後、どこへ行こうとしているのか、を見ようと思って来ました。

「大洪水」のチラシにある文章を読むと、 なんだっていいんだよと書いてあり、さらには、STスポットを無法地帯にしたいとも書いてある。3年間沈黙した上で、なんだっていい、を押し進めて、作品とはとても呼べそうにないもの、ダンスとは到底呼べそうにないもの、人に見せるものになっていない稚拙なもの、そんなガラクタの破片を集めて、それを大洪水のように見せる、そんなイメージが、ぼくの予想。コンテンポラリーダンスの劇場であるSTスポットが、無法地帯になる。劇場なんだか、銭湯なんだか、遊び場なんだか、居酒屋なんだか、分からない。そんな無法地帯になっているのかな、と思って、ドキドキしながら行く。


という、ぼくの想像は、全然はずれていて、山下残のスタイルのダンス作品で、「動物の演劇」から着実に一歩前進しようとするダンス作品の本番前のリハーサルをやっていました。

無法地帯にしたいけれど、こつこつ作品を制作しているということか。ダンサー、振付家、スタッフが、こつこつ作品を作っていた。無法地帯にしたいという叫びが、ダンスという衣服をまとって暴れながら、ダンスという衣服と格闘する。無法地帯にしたいという願望から作ったダンス作品、ということか。その叫びに耳を傾け、野村誠ならば、どんな大洪水を作るのだろうなぁ、と空想しながら、帰り道に余韻を味わう。

ダンスの手法としては、前作「動物の演劇」と近いと感じた。ただし、「動物の演劇」では、もとになった振付をずらしたり、くずしたりしつつ、その中で、どれだけ即興で遊ぶか、というテーマを残君は提示していた。決まった振付の隙をついて逸脱するダンサー達と、遊びの中でダンサーの癖を出させないように、どんどん縛りをきつくする演出家という構図での均衡関係が面白かった。逆に、ぼくは音楽家として、ダンサーと演出家の均衡関係を楽しんだ。時に、ダンサーの反逆に荷担する演奏をしたし、時に演出家の側に回ってダンサーの自由を制約する演奏をする、という第3の立場を楽しんだことを、懐かしく思い出した。今回の公演、いよいよ始まりますが、ダンサーが山下残の作品をぶち壊すくらいの解釈で山下残を壊しにいっても大丈夫な作品でしょうし、そうなればなるほど面白みが増すと思うので、これから公演に向けて、ダンサー達からSTスポットを無法地帯にしていってもらえればいいな、と思います。