ジョグジャに来て4週間が経った。朝、ソロから樅山智子さんが帰って来て、パッ・プラプトのワークショップの話を少しだけ聞かせてもらう。
午後、ぼくは雨の音に耳を傾け、雲の動きを感じ、庭の木々の呼吸を聞きながら、いつの間にか、パッ・プラプトのワークショップに参加していた。ジョグジャに来て4週間、ぼくは、この庭に挨拶をしていただろうか?この空に挨拶をしていただろうか?風に語りかけていただろうか?庭の声を聞き、雲の声を聞く。無理に音を出したりせず、ただ、そこに佇む。言葉のない会話。
この4週間、鍵盤ハーモニカのチューニングをするために、ガムランの楽器のチューニングを分析的に聞いていた。でも、聞く前に楽器に「こんにちは」と挨拶をしていただろうか?チューニングとは、楽器の声を聞いて、その声と共振していくことなのではないか?
ぼくは、庭の声を聞き、楽器の声を聞き、その声に共振してみる。ジャワ人だ、日本人だ、ガムランだ、ピアノだ、作曲だ、それらは概念に過ぎない。概念を忘れること。ただただ、この生きている瞬間に存在すること。全てはここから始まる。
情報でも、知識でも、概念でもない。ただただ感じること。
ああ、4週間を経て、やっとジョグジャに来た。