野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アレックスさんにお話を伺った

 70年代にジャワ・ガムランに出会ったアメリカ人作曲家のAlex Deaさんを訪ねました。70年代にビートルズやテリー・ライリーなどを通じて、アメリカにインド音楽が紹介される時代に、アメリカでインド音楽を学び、スティーヴ・ライヒも行ったガーナで太鼓を学び、ジャワに2年間住み、民族音楽学の博士論文を書いた人で、80年代後半以来、ジャワの多くの達人たちをドキュメントしてきています。また、数年前よりガムランの作品も作曲発表されています。アレックスさんの目を通して見たインドネシアの現代音楽についてのお話も、大変面白かったです。
 今日伺ったお話を参考に、ぼくなりにジャワのガムランのコンテンポラリーの歴史を理解してみました。乱暴な説明で、まとめるとこうなります。ジャワ・ガムランの創作に関して言えば、ダンス先行で、音楽が追随するところが大きいようです。だから、まずダンスがどう始まったか、から見ていく必要があります。そうすると、ソロのサルドノさん(60年代にニューヨークにも行った)、プラプトさん、ジョグジャのベン・スハルトさん(UCLAに留学し修士をとった)といった舞踊家が、ジャワの古典をベースにしつつ、コンテンポラリーの創作を始めた第1世代と言えます。94年にプラプト氏が開催したMulti Media Festivalをきっかけに、インドネシアのコンテンポラリーは盛んになり始めたようです。ベンさんなども、3ヶ月に1作のペースで、次々に新作を提示していた時代のようです。また、この頃になると、アメリカ、イギリス、日本などに留学したり、教えにいく人も増え、海外との交流も増えます。例えば、ミロトさんなども、そうした第2世代に入るでしょうか。
 大阪のガムラン・グループ「ダルマ・ブダヤ」が(ぼくの「踊れ!ベートーヴェン」を含む)現代作品ばかりを持ってインドネシアツアーしたのが96年。サプト・ラハルジョのガムラン・フェスティバルが始まったのも同じ時期です。人々が戸惑いながら興味を示していたコンテンポラリー・ガムランの創作。それから15年の月日を経た今では、コンテンポラリー・ガムランの世界は、随分熟してきたようです。