野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「音楽と創造1」から想像する

大学院の授業「音楽と創造1」に出席しようと思って家を出るが、パッ・ロイケより「熱があるので休講」との連絡があって、ピアノを弾いて過ごす。ピアノの練習ではなく、ピアノと会話すること、ピアノの声に耳を傾けることを心がける。ピアノの中音域の鍵盤の返りが非常に悪いので、ふたを開けて中を覗くと、(アップライト独特の)弱音用のフェルトが、変形して、ピアノのハンマーに引っかかる位置まで垂れ下がってきている。あ、これでは、邪魔だ。中を見ると、既にガムテープを貼って、一時しのぎをしてあることが分かる。そのガムテープを使って、弱音用のフェルトがハンマーに触れないようにしたら、少しは鍵盤の戻りが改善した。
 1時間ほどピアノを弾いていると、パッ・ロイケの代わりにパッ・スネンが授業をすることになったと、学生が呼びにくる。どうして分かったのだろう?約2時間、ほとんど分からないインドネシア語の授業を聴きながら、分かる言葉を書き取っていく。今日の話は、テーマ。作品をつくる上でのテーマの選定は大切だ、ということ。ぼくの場合は、作品のテーマは、自分の置かれている環境や身近な題材であることが多い。個人的な体験を起点に、それを他者と共有できるテーマへと膨らませる。
 テーマとはどういう意味だろう、と思っていたが、聞いているうちに、例えば、と言って、恋の話が始まり、男女の仲のことを嬉しそうに先生も語る。恋愛は作品を作る上でのテーマになり得る、ということか。学生が、gambar notasiについて語っている。図形楽譜のことだろう。オリジナリティーのことで、ニュートンの話が出た。多分、りんごが落ちるのは、他の人も見たことがあるけど、そこで万有引力という考えと結びつけるところがオリジナルと言っていたのか。何度も、オリジナリティとは何か、と先生は語っていた。人と違えば、違っていることがオリジナリティなのか?いや、違うことに重点を置くと、その人らしい表現から離れてしまう。他を意識して、違うことを意識するのではなく、その人らしく表現することでこそ、オリジナルになれるはずだ。
 形式の話もしていて、ソナタ、ランチャラン、クタワンと西洋音楽の形式とガムラン音楽の形式を並列に語っていた。つまり、この講義の受講生は、西洋音楽とジャワ・ガムランの基礎知識はあるのを前提としているのだろうか。
 踊りや音楽や演劇は、西洋音楽学科では完全に分離しているが、ジャワやバリなどでは混ざっている、と言っていた。机を叩いて色々なリズムの変形の説明をしている時に、例えば、ベチャの音や電車の音のように、と言っていた。
 英語の単語と共通の物が多いので、想像がつくものが多い。konsepはconcept、elemenはelement、instrumenはinstrument、全部tを省くのだなぁ。作曲家には楽器を演奏しない。でも、演奏した方がいい。と先生は言っていたのだろうか?
 2時間の講義の内容は、ほとんど分からない。でも、わずかな手がかりから講義の内容を推測するのは、謎が多く想像力が膨らみ楽しい時間でもある。帰国する頃には、半分くらいは分かるようになりたい。