野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

伝統とコンテンポラリー

昨日の日記の続きです。

自分がやったことが前例になって、規範になって、気がつくと伝統になりかけていることがあります。

例えば、2000年に、ASIASの最初の授業をやったのが、ぼくでした。アーティストが小学校に行って教師と恊働でやるワークショップの先駆けみたいなもので、当時ほとんど前例がなかったので、100人以上の見学者がいる異様な雰囲気の中で、授業をしました。で、その後の10年、ASIASでも数々のアーティストが、多様で、色んなアプローチの授業をしたと思うのですが、でも、第1回でできた型があり、妙に、その型が引き継がれていっていることもあるなぁ、とも思うのです。今、思うと、ああ、迂闊にやっちゃったけど、自分が思ってもいないことが、型として受け継がれてしまったこともある。

老人ホームでの共同作曲も、最初は、どうなるか全く分からなかったのですが、本当に偶々の展開で、「わいわい音頭」という歌の創作が始まって、11年経っても、それが、引き継がれています。やる内容はともかく、さくら苑のテーブルを囲んで進めるとか、なんでそうやるのか分からない型があって、でも、それは、11年前から、なんとなく決まっちゃった型です。

このように、ぼくの短い音楽家人生の中で、いくつものプロジェクトが立ち上がった後、だんだん、そこに型ができて、それを踏襲していくようになって、コンテンポラリーをやっているつもりが、あっという間に伝統になっていく場を、何度も経験しました。

このブログについても、そうです。何をどう書いてもいいはずなのに、何となく、こういうことは書く、こういうことは書かない、という型ができてくる。

で、こういう型というのは、まぁ、なんとなくの集積なので、いつでも変えていいはずなんですが、時間が積み重なるほど、変えるのには、なんだか勇気がいる。ただ、それだけのことです。で、所詮、なんとなく決まっているに、歴史の集積があるだけなので、なんとなくで、変えてもいいし、変えなくてもいい。

今日のぼくは、そう思っています。