野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ジョグジャカルタの子どもたち

午前中は、ニティプラヤン(2005年に、ここでi-picnicでコンサートをしたアートセンター)で小学生が桃太郎を体験するワークショップ。

夜は、ISI(芸大)のプンドポ(と呼ばれる伝統的にガムランやジャワ舞踊を演じる半屋外のスペース)で、マルガサリガムラン古典曲の演奏をし、ウイヤンタリと佐久間新の舞踊もあり、そして、地元のジャワ舞踊団が新たに創作した「桃太郎」を見せてもらった。音楽は、古典曲をアレンジしているらしい。

この「桃太郎」を見て分かったこと。

1) マルガサリ版の「桃太郎」の音楽は、やはり相当にユニークだということ。ぼくは、マルガサリというジャワガムラン音楽を学んだ人と楽譜を使わずに創作してきたので、ジャワ人の作るものともっと似てる部分もあるかと思ったけれど、我々の音楽は相当ジャワ人には新鮮に響いているのだろうな、ということを再確認しました。

2) 「鬼」というのは、滑稽で笑われる存在であるらしいこと

3) 戦いのシーンは、ジャワ的には、一般に2分くらいで十分らしい。ただし、日本でも「仮面ライダー」や「水戸黄門」でも、戦いのシーン自体は、2〜3分か。

4) 沈黙とか、間、という感覚は、日本的なのか、こっちの人は、常に音で埋めていって、緊張感のある静寂、という概念自体がないような感じ

などなど。今回のツアーでは、プンドポでの「桃太郎」公演がないのが残念なのと、現地のジャワ人が飛び入りで演奏に加わったりすることがないのも、残念。今回は、衣装や照明などを作り込んだため、ビジュアル的なクオリティは高くなったし、逆に、飛び入りで誰かが入り込める余地も、減ってしまった。例えば、衣装や照明をきっちり作り込んだ公演もいいし、でも、もっとゆるく作ってあって、その日の出会いで、出演者が増えたりできる、そういうバージョンもやりたい、と思えてきた。

というのも、「桃太郎」の作曲にあたっては、

1)スコアを書かずに作曲する
2)指揮者をおかずに演奏する

という大原則があった。この意図は、ある作曲家や指揮者が全体を統轄するのではなく、常に、各自が自発的に考えて動きながら、その場で集団的に判断しながら演奏していくスタイルを目指したからだ。これを、デンマークのCarl Berstroem-Nielsenの言葉を借りれば、Spontaneous agreement(その場で自発的に合意に達すること)、Collective decision(集団でその場で決定すること)となるのか。

音楽の作り方はそうしたけれど、劇としては、スコアに相当する「台本」をつくり、指揮者に相当する「舞台監督」をおいて公演している。もっと、ゆるい「桃太郎」も存在できないと、「桃太郎」の未来がなくなってしまいそうな気がしている。

イギリス公演するなら、現地の人にも何らかの形で出演してもらったり、飛び入りで参加してもらったりできるようにしたい、と思った。今回のインドネシアツアーで、やり残すことは、プンドポで「桃太郎」を上演することと、現地のジャワ人と共同で「桃太郎」を上演すること。さらには、「桃太郎」体験ワークショップもジャワのガムラン奏者を対象にやってみたかった。そうした宿題をいろいろ感じ始め、今回のインドネシアツアーは何なのか、もう少し考えてみたい。