野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

神戸のホケット→テトテト

兵庫県立美術館1階ロビーで、防災EXPOの一企画の影絵人形紙しばい「テトテト」を見に行きました。

7人のアーティスト(浅野千里さん、加藤文崇さん、木須久貴さん、嶋村晃一さん、つき山いくよさん、林加奈さん、藤浩志さん)が、神戸の震災当時に自主的な避難所を運営された被災体験者の話をもとに、影絵+紙芝居+人形劇にした作品。

この作品を見ながら、13年前の震災当時のことが、蘇ってきます。
あの時、ぼくは、イギリスのヨークにいた。
神戸の島袋にファックスを送ったのに、なぜか届かない。
民族音楽学のNeil Sorrelが、日本で地震があったらしい、と教えてくれた。「東京でも大阪でもない知らない名前だった。」と聞いて、ぼくは長野かな、と思った。
それから、リーズのHugh Nankivellの家に行った。リハーサルだったか、打ち合わせだったか、忘れたけど、彼の家でテレビを見た。燃えている神戸の映像が流れていた。
日本に電話をする。全然、つながらない。

震災から1週間後、ぼくは予定通り、関空に帰国した。2月12日に水戸芸術館でコンサートをする。2月3日から水戸に滞在。その前に、京都にしばらく滞在する予定だった。

島袋は神戸でコーヒーを配っていた。ぼくも、神戸に行った。瓦礫の中を歩いた。佐久間新くんは、得意のバイク運転で、神戸で物資を運んだりしていたらしいと、震災の翌年インドネシアで聞いた。

ぼくはヨークで「神戸のためのコンサート」をすることになった。そのコンサートをYorkshire Evening Pressという地元の新聞に載せたら、ヨークカレッジにいる日本人の人たちが連絡をくれた。この人たちは、ボランティア活動をしにイギリスに来て、今英語を研修中だった。一人はフルートが吹けた。

ヨーク大学の音楽楽部の学生たちが、次から次に、神戸のためのコンサートに出演してくれると言った。その中には、フルートを演奏する子が二人いて、ぼくは、3本のフルートから始まる曲を書いた。そして、そこには、ドラムやベースも加わり、チューバやホルンも加わった。それがコンサートのオープニングになった。

その曲を日本に帰ってから「神戸のホケット」という鍵盤ハーモニカのアンサンブル曲にした。ぼくは、鍵ハモのバンド「Pーブロッ」を結成し、何度も何度もこの曲を演奏した。パリでもフランス人に鍵ハモを貸して、フランス人による「神戸のホケット」もやった。

それから、3年がたって、震災遺児のためのコンサートに、P−ブロッが呼ばれて、西宮で演奏した。その後、NHKの「ドレミノテレビ」でも「神戸のホケット」は演奏した。また、マザーアース株式会社から楽譜を出版したので、P−ブロッ以外の人々も、この曲を演奏している。

「神戸のホケット」は、震災の時に人々が協力し合って生きていたその勇気に捧げる曲。ぼくは、この曲をこれからも演奏していきたい、と震災に関する劇を見ながら、思った。

ヨークでやった神戸のためのコンサートは、できるだけ多くの人に参加して欲しいので、ぼくは、会う人みんなに手描きのポスターを頼んだ。だから、すごいたくさんの手描きのポスターが貼られた。

当時、スカイプはなかったけど、スカイプみたいな感じの安くでかけられる国際電話を使って、日本と電話ライブをした。当時、携帯電話を持っている人は少なかったので、ダンプの運転手の水上くんの携帯を借りて、日本時間の早朝4時に、港で待機している島袋と水上くんと、バーンホルム中学の有志とで共演した。

中学生たちが、神戸とつながったね、と言っていた。

あれから、13年。13年前を思い出す。

で、テトテトはとてもよかったのですが、特に主題曲がよかった。