野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

夜の思想・夜の学び〜人間・場所・音楽

早稲田大学でのトークセミナー、野村誠×小沼純一「夜の思想・夜の学び〜人間・場所・音楽」がありました。

ただし、これを企画している横田和子さんからのリクエストで、ピアノ曲「たまごをもって家出する」を演奏するように言われていたので、昼間は練習してました。10月13〜19日にえずこホールに行っていた間も、練習しようと思って譜面を持って行ってはいましたが、残念ながら練習する余裕は全くなく。コラボ・シアター・フェスティバルの会場にも譜面は持って行っていて、昨日も終演後に楽屋で譜読みをしていましたが・・・。

本番は、小沼純一さんに譜めくりまでしていただきました。

さて、「夜の思想・夜の学び」というタイトル通りというか、真っ暗な会場で、ぼくと小沼さんのところに強烈なピンスポットが指す対談でした。だから、観客の顔は全く見えず、どんな人が聞いているのかが全く分からないままの対談になりました。逆に言うと、普段、ぼくは観客の顔を見て、客の反応や様子を見ながら話す内容を微妙に変えているようです。今日は、観客の表情が全く見えないので、見えない闇の向こうの観客に向かって話すからこその内容になったように思います。

小沼さんは、いきなり、昨日のフェスティバルのことを聞き、ぼくが自分でパフォーマンスしていなかったことに驚き、でも、本当は自分でやりたい人でしょ、とぼくに突っ込んできました。野村さんだったら、もっとこうやるっていう切り口があったでしょう、と言うのです。

多分、ぼくだったら、もっと意地悪になったり、引き出すために受容するばかりじゃなくって、意外なところから仕掛けて、相手を時には困惑させちゃうところもあるかなぁ。そうした答えに、小沼さんは意外だ、と言いました。つまり、野村誠は、みんなの表現を面白いですね、と受け容れる人だと言うのです。でも、ぼくの答えは、

ぼくは長年音楽をしてきているし、音楽に関する経験も知識もいろいろあるから、他の人の表現にいつも感心したり圧倒されるわけではない。でも、誰でも、ぼくにはできないようなその人ならではの音楽的な個性を持っているという確信というか大前提があって、それを発見することに、ぼくは喜びを感じる。これには、ぼく自身に鑑賞力がないと、素人の人の音楽はみんなつまんない、ということになるし、それぞれの人に魅力を見つけられることは幸せだし、それを見つけられる自分も幸せだし、そのためには、柔軟な鑑賞力がいる。

ということでした。

その後、話は「作品」ということに移りました。このことにフォーカスが起こるのは、小沼さんとの対談だから、と思いますし、そのことが話せることは、うれしいことです。

ぼくは作曲家で作品を作っています。その中で、作品が生き続けること、生ものとしての作品をどうやって生み出すか、といったことを考えて実践してきたわけです。今、ぼくが書いた一文の中に、「生」という文字が何度も使われていました。「生きる」とか「生」とか「生活」とか「生まれる」といったことを、ぼくは作曲で執拗にやってきました。

作曲した作品が、さらに子どもの曲を産み出していくとか、作曲が完成せずに継続し続けるとか・・・。

そうやって、作品が生き続けるための様々な実践をぼくはやっているのです。

ピアノ演奏は、練習不足で大変でしたが、大変なりに伝わることもあったのでは、とポジティブに考えて、最後まであきらめずに弾きました。

ちなみに、この曲は、多くの人を泣かせてきた曲で、名古屋音大でも泣いた人がいましたが、今日もリハーサルを聞いて泣いた人がいたらしいです。佐藤信子さんによると、ドイツでも泣いた人もいるらしいです。多分、ぼくの曲の中で、一番泣いた人が多い曲。