野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

桃太郎完結〜マルガサリの卒業式

今日が「桃太郎」の本番でした。約4時間の上演。

開場の1時間前に、ジャワ・ガムランの伝統曲を演奏しました。途中でメイクがあったり、衣装替えがあったり、様々な段取りがあり、音そのものを響きそのものを味わう気持ちを忘れてしまいそうだったので、直前に、これをやりました。身体の中に水が染み込んでいくような時間でした。これが、どうも良かったようです。

ぼくは、ぶっつけで本番に入りました。今までずっと客席の位置から見ていて、今回初めて、演者の後ろから芝居を見、演奏者の中で音を発します。演奏者全員で演奏ができあがっているので、ココにいきなり中途半端に加わるくらいなら、いない方がましです。客席で聴いた時に物足りないと感じていたパートを補強したり、アンサンブルに対して薬味として少々別の味付けを加えたり、というのを、とにかく初めて出すので不安な気持ちもありますが、それを全て吹き飛ばして、確固たる信念を持って音を出すようにしました。

公演は、第1場、第2場、第3場と非常にいい流れで来ました。そして、いよいよ第4場です。今日の公演の成功は、この第4場にかかっていると言っても過言ではありません。

楽屋で、これは、鬼と桃太郎の戦いではない、と宣言しました。音楽は、鬼も桃太郎も倒すつもりで演奏するから、鬼も桃太郎も両方とも負けることもあるから覚悟して望んでください、と言いました。そんなことは言わなくても分かっているとは思いますが、それでも、もう一度、念を押しました。

第4場の音楽は、多分、今までのリハーサルのどれよりも混沌としたと思います。全体として統一のある音楽ができていたマルガサリのアンサンブルを、徹底的に機能しなくなるような混沌としたゲリラ即興バトルの泥沼にはまるように、ぼくは、アンサンブルを崩壊させるように、できる限りの手を打っていきました。アンサンブルは、ぼくが期待した以上に、混沌への道を進み、音の渦とエネルギーがコントロール不能な状態になっていきました。暴走するマルガサリ。最早、ぼくが何をしてもコントロール不能です。これは、ぼくが望んでいた状況ですが、ぼくはやっている最中に、舞台監督の中川博志さんに、「どうですか」と一度質問しています。桃太郎や鬼が、このテンションに困惑していないか、客観的に見れる信頼の足る人物に質問しています。博志さんのいいという判断を得て、ぼくはさらに遠慮なく暴走を続けます。

舞台上、そして、アンサンブルの中は、壮絶な戦場になってしまいました。やめたくてもやめられない。もう、どうしようもないのです。想像を絶するような騒音の中で、ぼくは怒り叫び、悲しみ叫び、悶え苦しみ、しかし、それらの声は騒音の中にかき消されていくのです。みんなが無力感を感じながら、しかし、諦めたら最後、命はありません。必死に我々は戦い続けました。

一番巨大な楽器、直径1メートル以上ある超重量楽器ゴン・アグンを叩いていたら、突然、すごい勢いで楽器が倒れていきました。まるで地震です。こんなの見たことありません。しかし、そのことにすら気づかずに演奏している人たち。そこまでの音のカオスが出現していたのです。ゴン・アグンはガムランの守り神だと、ぼくは考えています。先日の野村誠の世界の開演前にも、この楽器にお祈りさせてもらいました。ここで倒れたのも、この楽器が自分で判断して倒れたのではないか、とぼくは感じ、その後はしばらく倒れたままの(ぶら下げるのではなく床置きの)状態で演奏しました。

鬼と桃太郎は戦っています。ここで、ぼくは、奴らの力に期待して、鬼と桃太郎を食ってやろう、と思いました。ぼくのパフォーマンスが、鬼や桃太郎以上の存在感を持ったら、ぼくが鬼や桃太郎を食ってしまうことができます。ここは戦場です。鬼や桃太郎は、ぼくに食われてはいけないのです。だから、ぼくは、自分のありったけのパワーを持って、鬼を食べ、桃太郎を食べようと、太鼓を抱えながら、叫びました。と同時に、心の中で「あまえたち、俺に食われるな!」と叫ぶ自分と、「お前たち、うかうかしていたら食ってやる」と叫ぶ自分の両方がいました。

さらに戦いが続いて、決着はつきません。鬼はぼくにまで攻撃を加えてきました。ぼくも鬼や桃太郎の中に突入し、鬼にも桃太郎にも攻撃を加えました。もはや真剣勝負です。気がつくと、中川真さんが、桃太郎を攻撃しています。

リハーサルでは、あっさり死んでいた桃太郎が、死にません。鬼はてこずります。ひょっとして、桃太郎は死なないのでは、という気すらしました。鬼と桃太郎の両者がどうしても、相手を退治できずにドローになったら、予定通りの第5場に移れませんが、そうなっても仕方がない、二人に任せる、と思いました。

それでも、佐久間新は鬼として、桃太郎を倒しにいきました。桃太郎は、鬼の面をはずそうとしました。そして、本当に無惨な桃太郎の最期でした。佐久間くんは、踊りを踊れなくなっていた、そうです。

第4場は、構成も何もなくなり、コントロール不能な場になりました。ここでは、ここを見せたい、ここを聴かせたい、と整理されたものではなく、グチャーっと全部が「見にくく」=「醜く」出てくる。「みにくい」世界に入り込めた気がします。そして、ぼくたちが生きている現実世界と、このフィクションの「桃太郎」が、確実に交わった感触を受けました。

そして、第5場の最後に、背景の美術が、絶妙のタイミングで落ちてくれた、と坪井ユユちゃんが言っていました。舞台の神様が現れた、と。

ということで、とにかく4時間に渡る公演が終わりました。体中が筋肉痛です。歯を食いしばり続けたのか、あごの感覚が変です。まずは、皆さんの感想をお聞かせください。ぼく自身は、かなり興奮しています。と同時に、これで、野村誠ガムランとの10年間の一区切りがついた、とも思っています。

入場者数は、204名でした。日本各地から、こんなに来にくいところにこれだけの人が集まってくれたことに感謝します。ガムランプロジェクト2つ合わせて400人集めなければ次年度の公演はないというノルマを課せられたマルガサリですが、野村誠の世界の174人と合わせて、378人の来場者数で、22人足りませんでした。

日本で初めてジャワ・ガムランのフルセットを購入した公共ホール碧水ホールでのガムランプロジェクトは、これが最後になりそうだ、という空気を感じながら、ホールを後にしました。ぼくの役目は終わったようです。でも、それでいいのかもしれません。この4年間、マルガサリ野村誠が出入りしてきましたが、このホールには、ティルト・クンチョノというグループがいて、力をつけてきたのです。もう、マルガサリの公演も、野村誠の公演も、必要なくなったということでしょう。毎夏行ってきたワークショップでガムランの作品を作る活動は、この4年間でせっかく定着してきたので、ここでやめるのは惜しい気がしますが、それも野村誠がやらなくてもティルト・クンチョノが引き継いでいってくれればいい、と思います。

それから、マルガサリの「桃太郎」は、ぼくは演奏で参加しましたが、ぼくが参加しなくても上演できる作品になっています。インドネシアやヨーロッパで上演する時には、是非立ちあいたいと思いますし、今後のマルガサリの動きも見守っていきたい、と思いますし、ガムランに対する興味は尽きませんが、今後、マルガサリの人たちと一緒に何かを作っていくという作業も、当分ないだろうし、この「桃太郎」のような5年がかりの大規模なプロジェクトに取り組むこともないでしょう。

今日は、マルガサリの野村ワークショップの卒業式の卒業公演だったのだ、と打ち上げや2次会で、じわじわと気づいてきました。だから、その門出を祝福したいと思います。卒業式というのは、おめでたくもあり、寂しくもあり、複雑な達成感があります。

それから、この5年間で凄い勢いで成長し続けた佐久間新さんと、何かを始めたい気持ちが芽生えています。近い将来、何かを始められるようにしたいです。

碧水ホール、マルガサリ、そして、お客さん、関係者の皆さん、本当に長い間ありがとうございました。



小暮宣夫さんの日記
http://kogure.exblog.jp/4260605

林加奈さんの日記
http://blog.goo.ne.jp/kananagano/d/20060910