野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

2曲同時演奏

青梅市立第7小学校で、3・4年生全員との特別授業。ぼく+片岡祐介さん+片岡由紀さん。まず、子どもたちの作った曲を聞かせてもらう。3年生は、自分達で創作したボディ・パーカッション。これがすごく良かった。ボディ・パーカッションというと、たいてい4拍子など拍子がはっきりあったり、4分音符のリズムにのっていたりして、テンポが一定だったりして、音楽がつまらないことが多い。ところが、この3年生のは、リズムアンサンブルというより、からだを叩きながらコミュニケーションをしているが、それが同時に音楽にもなっている、という感じで、テンポも多様に変化するし、不思議な間(フェルマータ)もあるし、拍子も変化する。楽譜に書いたら相当複雑になるだろうけど、本人たちは子ども同士の関係性や体の動きで記憶しているので、苦もなく演奏できる。
ぼくは、子どもたちの演奏が、宇宙人の会話のようだ、と言って褒めた。手話とも違う新たな言語を見たような気がしたのだ。それくらい、この音楽を通して子ども達同士のやりとりがあった。そこで、もしNHK交響楽団の打楽器奏者がボディ・パーカッションをしたらどうなるか、というのを片岡さんにやってもらった。一音一音をはっきり大袈裟に演奏する片岡さんのパフォーマンス、お客さんの方を見て演奏するスタイル。これはこれで一つの演奏スタイルだ。そして、子どもたちのスタイルは、観客の方を見るのではなく、子どもたち同士で向き合って演奏する。見たことないけど、平田オリザの静かな演劇というのは、こういったものなのだろう、と思った。片岡祐介+片岡由紀で、N饗スタイルと宇宙人スタイルを交互にやってみてもらった。どちらのスタイルもはっきり音楽として成立することが味わえた。
続いて、4年生の創作。色んな楽器や音の出るものでの作品。これが、またまた、良かった。それに合わせて、片岡さん、由紀ちゃん、ぼくで楽器で加わってみようとしたが、うまく合わせようとしても、作品が完成度が高く、入る隙間があまりない。そこで、「思いっきり邪魔してみましょう!」と提案。4年生の曲に、一人全然合ってない人として片岡さんに加わってもらった。すると、調和した音楽に明らかに異物が入ったことによって、今まで作っていたものが、より引き立つ瞬間が出てきたし、片岡さんが引き立つ瞬間も出てきた。これだけ邪魔されても崩れるに演奏できる曲だからこそ、ここまでのチャレンジができたなぁ。
最後に何をしようか、と尋ねると、3年生の曲と4年生の曲を同時演奏する、というアイディアが4年生の男の子から提案された。そこで、2曲同時演奏をしてみた。(4年生の曲は、3年生の曲の3倍近い長さがあったので、3年生の曲は3回くり返して演奏した)。最初は、全く別の音楽が無関係に進行し、たまに偶然面白いシンクロが起こる感じだった。ところが、曲が進むにつれて、お互いの耳が自然に開いていくのか、どんどんシンクロする部分が増えて、最後にはすっかり一つの曲のように二つが聴こえてきた。これには感動。今度、全く別の曲を2曲作って、それを同時演奏するところを起点に曲を作ってみようかな、と思った。
この学校の音楽の先生(佐藤南先生)の今までの取り組みをビデオで見せてもらった。すごくいい。特に、「ソラの音楽」という「ソ」と「ラ」だけを使ったリズムパターンがいろいろ組み合わさってできている合奏が、とんでもなく良かった。ところが、この曲は教員の中では不評だったらしく、それ以降何年間も他人に聞かせることがなかった、とのこと。何が不評だったのか、全く分からない。理解不能。本当にすごく良かったから。
ひょっとしたら、不評だった先生方は、音楽がいいか悪いかには興味がなく、その音楽の中でどれだけ訓練をしたかに興味があるのではないか、と思った。音楽はそもそも訓練ではないから、そうなるといい音楽が否定されるのかなぁ?
その後、P−ブロッの練習。徳島でのコンサートのため。潤さんの曲は、「音楽会」の絵の中のお客さんだけをピックアップして作曲。しばさんは、アダムとイブの絵を輪切りにしながら、線と線が交わったところで、曲調が変化するようなそんな曲。かなちゃんは、シカに関して歌とストーリーを作っていた。ぼくはカンディンスキーの抽象的な曲線や形をそのまま音符として解読。楽しみです。