碧水ホールでのコンサート。
パパとママ初演
さるう初演
出演の皆さん、お疲れさまでした。
書きたいことがいっぱいあるので、以下に、詳しいこと少しずつ書き足します。
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終演後のポップコーンパーティーに多くの人が残り、色々交流したり、知らない人同士も会話がはずんだりした。
「まじ片岡」と「壊れ石村」が印象的という感想あり。片岡さんがマリンバを演奏していて、お笑いでない片岡さんカッコイイと声あがる。マリンバとピアノの作品、年に1曲くらいずつ増やそうかな。もっと片岡マリンバを聴きたい、という声あった。
「壊れ石村」について。石村真紀との即興は5月よりも面白かったとの声を聞く。音楽療法士として石村真紀と講習会などで出会っている人にとっては、彼女の姿は別人のようであったらしい。どっちの顔も石村真紀だろうから、両面を出せるのはいいこと。もっともっと、ぶっ壊れると、もっと自由な音
楽と空気が味わえるはず。舞台の上でいかに「てきと〜」に「いいかげん」に演奏できるか、その余裕と緊張感を両立させることが、人前で即興するためのメンタリティかな、とぼくは思ってます。
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市川慎、菊地奈緒子の二人の演奏は素晴らしかった。この二人の演奏は、いつ聴いても好感を持つし、可能性を感じる。片岡さん曰く、「もやのかかっていない演奏」、「ストレートに包み隠さずに全て音に出してくる」。確かに、そこがいいですし、失敗を恐れずに踏み込んでいく演奏態度がいい。
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「さるう」初演。この作品は、「だいんだいん」の一歩先を行っているのだろう。柏木くんが「だいんだいん」では何が死んだのだろうと考えて、「だいんだいん」では「しょうぎ作曲」が死んだんじゃないか、と行っていた。「だいんだいん」以降、野村誠はほとんど「しょうぎ作曲」をしていないから。
「しょうぎ作曲」は方法論として完成して、ぼくは完全に次のことに向かって進んでいるのかもしれない。じゃあ、何に向かっているの?「さるう」では、何を追求しているのだろう?「さるう」はとにかく手軽に作った作品だ。作曲と言っても、何が固定されているのか?固定されていない部分が非常に多い。
お客さんからの質問で、「自由度の高い作品は美しくないと思っていたのに、この作品は自由度が高いのに美しいので、びっくりした。どうして?」というのがあった。ぼくの答えは、「自由度の高い作品を作ろうとして美しくなったのではなく、美しい作品を作ろうと思ったら自由度が高くなった、ってことじゃないの」。
子どもたちが走り回っても何しても作品が成立する懐の深さがある作品であることは確か。桃太郎でもそうだが、作曲するって、全てをフィックスすることではなく、演奏者に多くの自由度を残し委ねることだ。だから、作曲家は演奏者にとって程よい程度の決め事を作り、あとは演奏者に委ねてしまえばいい。今や多くのプロの演奏家は譜面も読めるし即興もできるのが当たり前になってきている。そうなると、作曲という概念は大きく変わってしまうだろう。
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保育の必要性
コンサートが未就学児お断りというのは避けたいが、子どもがうるさいと繊細な音は聞こえない。ホールに子どもを預かる部屋とかあって、その部屋からホールの舞台の映像がモニターで見れたり、音が聞こえたりすればいいな。しかも、保育士がいて子どもの面倒を見てくれれば、子どもを預けて親はコンサートが聴けるし。そういうサービスをできるといいなぁ。今後の課題。
あとワークショップ参加者の子どもたちには、ゲネプロを見せて、本番は楽屋で待機してもらうべきかな、と思った。本番中、ワークショップ参加者の子どもがうるさくて演奏の妨げになる場面があったのが反省点。来年は、ゲネプロを見せることにしよう。
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