野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アンコールはナンカロウで


京都駅でP3の芹沢さんと会う。横浜トリエンナーレの件。ぼくは、その時、思いつきで、せっかく美術展なんだし、造形作家と組んで、鍵ハモをたくさん集めて、それで、何か彫刻みたいな楽器みたいなのできないかな、と適当に答えたけど、何だか、帰ってきてから、志が低いつまんない気もしてきて、もうちょっと何か考えようかな、という気になる。

家に戻り、鍵ハモソロの曲を書く。一日一小節でここまで来て、いよいよ春分の日で一曲目が終わり。節目の時が近づいてきたなぁ。

それからフェニックスホールに行く。三輪真弘さんによるレクチャーコンサートで、大井浩明がピアノを弾き、自動ピアノの演奏もあるコンサート。

で、すごく面白かったし、愕然とする部分もあった。以下がぼくの主観的感想。

一曲目はナンカロウを自動演奏ピアノが演奏。まあ、オープニングの演出としてはいいかな、と思った。続いて、2曲目もナンカロウ。2台の自動演奏ピアノが演奏するのだが、この曲は、昨年、大井浩明+鈴木貴彦の生演奏で聴いていたのだが、それに比べて自動ピアノの演奏があまりにも退屈だった。こんなにも違うのか、と思うくらいの違いだった。

多分、人間のピアニストのこだわりの部分にあたるところを、自動ピアノのデータを入力する時に、徹底してやる必要があるのだろう。つまり、自動ピアノのデータの入力をとことんやった挙げ句、さらに会場で音を鳴らしながら、会場の響きに合わせて、会場でもデータをいじったり、自動ピアノの置く位置をいじったり、とことんまで音にこだわりまくらないと、観客としては物足りない。

その後、大井がナンカロウを弾いた後のリゲティエチュードの時に、やはり愕然とした。フェニックスホールなら、フルコンのピアノもあるだろうに、そのままボロボロの自動演奏ピアノで演奏したのだ。ここは、つなぎに時間がかかろうと、一番いいピアノを出してきて、ベストコンディションで演奏を聴きたかった。難曲になればなる程、演奏家の微妙な違いに反応できる感度のいいピアノでないと、ピアニストの負担が圧倒的に増えてしまう。リゲティの演奏は、もっといいピアノで聴きたかった。

三輪さんの「東の唄」の再演が圧巻だった。三輪さんのCDで高橋アキさんの演奏を何度も聴いたことがあるが、そんなに違う味わいの演奏になるとは、全く期待していなかった。ところが、大井浩明はかなり挑発的な演奏をしたのだ。これには、正直、心が踊った。

大井浩明+もう一台の自動演奏ピアノ+サンプリング音源の合奏の形になる音楽だが、大井は徹底して自動ピアノとの力量の差を見せつけ、自動ピアノを翻弄し続け、テンポは揺らす、タッチや歌い回しで自動ピアノを翻弄する。ほとんど、自動ピアノが必死についていこうとする初心者のように見えてしまった。機械と合わせて、機械っぽく演奏する解釈もあり得るだろうが、それでは生演奏の面白みがない。今日の演奏は、三輪さんの曲の可能性を100倍豊かにしているように思った。

休憩後のショパンの「別れの曲のエテュード」を自動演奏ピアノが弾くのを聴いて、また愕然とした。いっそのこと、完全に機械的に無機質にしてしまうとか、機械らしさが強調されるような演奏なら、まだ面白みがあったかもしれないが、中途半端に曲を解釈しようとした自動ピアノの演奏は、演奏会で聴くには、あまりにも痛々しいものだった。大井浩明の生演奏でリゲティや三輪さんの曲を聴いた後に、これを聴かされるのは、あまりにも辛すぎる。寿司屋で寿司を食べている途中に、突然コンビニのおにぎりが出てきたような感じ。コンビニのおにぎりは、単体だったら食べられるけど、寿司屋で美味しい寿司を食べている途中には、とても食べられないと思う。

鈴木悦久の「クロマティスト」では、コンピュータと対戦する大井浩明の表情が、将棋指しの表情そっくりで、考えているライブが見れたのは、すごく面白かった。しかし、大井はコンピュータに敗戦して、退場。今日の演奏会で、一番本気で演奏していたピアニストをこんな形で退場させるのは、ちょっと見ていて悲しくなった。ちょっと〜!別の曲順でもいいんじゃないのぉ!そして、最後に、バルローのベートーヴェンの主題による自動ピアノのための「変奏曲」。この曲は、自動ピアノが唯一イキイキと演奏した曲だ。一番、自動ピアノが楽しそうに演奏してくれた、という意味で、この曲があって良かった。

今日のコンサートの前半は、大井浩明の特性が発揮されていて、演奏会としても、聴き応えがあったが、後半、この3曲はない、と思った。バルローの変奏曲は、コンサートの最後に来る結論には、とても思えなかった。今日の曲目で言えば、バルローの曲がコンサートの前半で、後半の最後に「東の唄」をやって欲しかった。それくらい、大井はこのコンサートの時間を生きている演奏をしていて、自動演奏ピアノはバルローの変奏曲以外では、やる気のない演奏をしていた。

そして、アンコールは、2台の自動演奏ピアノによるバルローの新曲で幕を閉じた。このアンコールの曲は、2台のピアノがアイヴスとシェーンベルグの断片をガンガンやかましく鳴らしまくる曲で、これが最後で本当にいいのかな?と思った。そもそも、今日の演奏者は、自動ピアノ半分、大井浩明半分なのに、大井がアンコールで演奏しない、というのは、どうしたものか。

まあ、今日は、三輪さんの作品で大井が良い演奏をしたので、来た甲斐があったけど、ちょっと残念な部分も多かった。

その後、南花楼(ナンカロウ)という中華屋に行ったら、そこにアップライトピアノがあったので、店の人に頼んで許可をもらい、大井がナンカロウでナンカロウを弾いた。この演奏が、ぼくに必要なアンコールだったのだ、と気づいた。

三輪さんの娘さんが、4月から通う中学校が、ぼくの母校だと知って、びっくりした。昨年12月、ぼくや真さんがタイのチュラロンコン大学でワークショップをした5日後にバルローさんがチュラ大でレクチャーをしていたと知って、びっくりした。